FC2ブログ

レアア-ス

レアア-スが南鳥島周辺で大量に見つかったとか?
中国に対して、ざまぁごらんあそばせじゃ。
調達先の殆どを中国に依存しとると分かったら
値上げしたり、出荷制限したりといやがらせしてからに。

南鳥島なら中国とは遠く離れとるけえ領有権問題も発生すまぁし、
含有濃度も高いらしいけえ、他の国も仕入れ先を乗り換えたら?

PM2.5じゃあ自国民だけでなく周辺各国にまで迷惑を掛けとるのに
その周辺各国と領土問題でも揉ましゃあげとる中国、
傲慢な態度を取っとったら、そのうちみんなからソッポを向かれるで。

あがぁな空気の悪いところへ駐在させられとる人もたまらんよね?
家族で行っとる人なんか子供が可哀そうじゃ。
スポンサーサイト

就職

いよいよ3月が近うなって卒業シ-ズンを迎えるねえ。
就職難の状態は長期化して、今年卒業する人でも
就職先の決まっとらん人がようけおるらしい。

人気就職先ランキングが新聞の付録に出とるけど
保険会社やら金融関係が人気あるねえ。
希望する企業に就職出来んけえと就職浪人する人もおるとか?

何十社と希望出しても書類選考で落とされる人が多いと聞く。
入社試験、面接試験と進んでも2次審査、3次審査で
落とされる人も多いんじゃとか?

希望する会社に入社出来んかったとしても
就職浪人するとしても、ほ-りほ-りせずに
アルバイトするなりして働けよ。
いつまでも親のスネをかじっとっちゃあいけんよ。

わが秋祭り保存会も会員募集しとるよ。
初任給? な~い   勤務時間? 不定期   休日? 不定休
賞与? な~い   交通費? 出な~い   制服? 自前
希望する人はどんどん事務局へお尋ね下され。

空気清浄機

PM2.5・・・午後2時半じゃない。
今年初めてお目にかかったような言葉じゃのに
もう何べんも目に耳にするけえ定着してしもうた言葉じゃ。

これに花粉や黄砂が加えられ、どんな色の空気が運ばれて来るんじゃろ?
事務所や自宅では付き合いで購入した空気清浄機が活躍中じゃ。
インフルエンザも流行っとるみたいでマスク姿の人も目立つ。
ワシも通勤時にゃマスクに毛糸の帽子なんじゃが、
これは防寒のためにしとったんじゃが離せんようになったで。

そのうちみんな外出の時は宇宙服みたいなん着るようになりゃあすまあね?
瀬戸内の島々がくっきり見える日がだんだん少のうなりそうじゃ。

まん丸満月

昨日愛犬の散歩をしとる時、ふと空を見上げたら
まん丸おっ月さんが輝いてござった。
おぉ満月じゃのぉ・・・っちゅう事はあれから8週間も経つん?

あれからっちゅうのは12月28日のことじゃ。
あの日は広島は雨じゃったが、雲の上はきれいな満月じゃった。
あれからやっぱし犬の散歩しとる時に満月を1度見た。
今回が2回目じゃけえ約8週間過ぎたゆ-事よのぉ?

まだまだ先と思うとっても祭りまで早い、あっという間じゃ。
揚の人らと早めに話をしとかにゃあなるまいて。
仕事や遊びの予定の合間を見て、調整してみようかの?

総会無事終了

今日は保存会の総会じゃった。
いつもより参加者が少なかったんが気がかりじゃ。
電話したら「おぉ、忘れとった!」という人もけっこうおったよ。

予定より10分遅れて始まった。
昨年度の行事報告、決算報告に続いて
今年度の行事予定、予算案、いずれも承認を得た。
懇親会も楽しく進み、中締め。

飲んどるんじゃけえ、はぁどこにも行かれんけえ
階下のいつもの部屋で続いて2次会じゃ。
わいわいと最後まで飲んで帰ったらバタンキュ-!
しばらくお昼寝タイム。

「もう起きにゃあ!」 と起こされた時は
もう月曜日の朝かと思うた程寝ぼけとったでよ。
しばらく事情が飲み込めんかった。
すぐ愛犬の散歩に行って夕飯なんじゃが、それ程腹が減っとらん。

じゃが、せやぁないもんよ、食べだしたら、ちゃんとデザ-トまで完食。
本日も健康なり。

また貰うた

ゆんべはおやじバンドの練習日で汗を流した。
練習場所の部屋に入ったとたん、暖房の効き過ぎで暑い。
ワシは暑がりじゃけえ、そう感じたんじゃろうが
家主が寒がりなんよ。

家主はそれでもスト-ブのへりから離れんのんじゃけえ、
気弱なワシは仕方のう、すぐ横の戸をちいと開いて練習、
それでも汗をかく位なんじゃけえ(笑)。

練習が終わって帰ろうとしたら、家主の奥方が
「丸ちゃん焼酎持って帰らん?」 と言う。
以前ここでBBQやった時の余りじゃ。
ここに置いとっても飲まんけえと一つ貰うて帰った。

これでわが家も当分焼酎を買わんでもせやぁない。

焼酎

昨年末からわが家にある焼酎は頂き物ばかりじゃ。
ありがたく感謝しながら、毎日少しずついただいとる。
12月に頂いたものは、ずっと飲み慣れた焼酎なんで
まだのけてある。

今、頂いとるのは最近頂いた焼酎で初めて見た焼酎じゃ。
同じ薩摩の芋焼酎なんじゃが、使われとる水が温泉水とか?
酒飲みじゃないワシじゃが、やっぱし味が違うのは分かる。
同じ芋から作るんじゃろうに、作り方は同じじゃろうに
何で? 芋の種類? 水?

酒は『気違い水』とも言う。
酒で人間性の変わる人がおってけえじゃろうが、ホンマ変わるてえね。
ワシら酒に弱いもんでも、飲み過ぎたら前後不覚に陥る事がある。
二日酔いじゃの何回もあるが、翌日仕事に差し支える程の事は
過去2回しかない。 2回もあっちゃあいけんのかも(笑)?

じゃが酒で人格が変わると言われた事はない。
周りが教えてくれんだけかもしれんが、それは無いと思う。
じゃが周りには、まるっきし変わる人がおってよね。

やたら気が強うなり、怒り出す人も困ったもんで
こんな人が暴力を振るうんかもしれん。
嫁さんとか女性に暴力を振るうのは最低じゃが、
喧嘩が弱いくせに、やたら喧嘩を売ってくる輩もおる。

そうして自分で喧嘩を売っては、やられてボコボコにされ
血だらけになって、ワシらが楽しゅう飲んどる店に助けを求めて来てんよ。
最初は相手が悪いんじゃと、その人がやられた店に駆けつけた事もあるが
店の人に聞いたら、悪いのはやられた本人じゃと分かり
次から『また始まった』と相手にせんようになった。

そんな人はワシらみたいに温厚な人間にも、時には喧嘩を売ってくる事がある。
ホンマ黙って聞いとったら、温厚なワシでも頭に来るような事言うんじゃけえ。

禁酒法が出来た国もある位じゃけえ、確かに酒は人を変える場合もある。
じゃが上手に使えば人間関係の構築に役立つ事も多いもんね。

今も、チビチビ焼酎をやりながら書いとります。

たった3人?

今夜は太鼓部の練習日じゃった。

事務所でメールしとったら
『今夜は太鼓の練習でしょ、行ってらっしゃ~い』のメール。
おおっ! メールに夢中で忘れとったで!
大慌てで帰宅、着替えもせずに公民館へと急いだ。

3分の遅刻じゃ! 
ロビーじゃあ、それまで大ホールを使うとったダンスの女性がいっぱい、
その子らをかき分けて大ホールに入ったが誰も来とらん。

そうよの、平日の19時じゃあ、まだ仕事よのぉ?
一人で楽器を倉庫から出しおったら部長さんが来られた。

それぞれウォ-ミングアップの個人練習で
久しぶりのリズム感を思いだしとった。
徐々にリズム感がよみがえってきて、体が温もってきた。
その頃Iさんがやってきた。

Kちゃん、Mちゃんは欠席と連絡が入っとったが、今日はこれだけ?
新しい奏法を工夫しながら音探しの繰り返し。
やっぱしガンガン叩かにゃあ、体が温もらん。足元が冷やい。
早々に片付けて帰ったよ。たった3人なんじゃけえ寒い、寒い。

帰ったら、待っとってくれた女房殿とおいしい夕飯じゃ。
温いご飯が、ス-プが体を芯から温めてくれる。
太鼓の練習で寒いと感じたんは初めてじゃ(苦笑)。

マカダミアんとラミー

毎日食後のデザ-トはチョコレ-トとみかん。
コタツに入ったらみかんを食べとうなる。
ほいじゃがみかんも、もう終いじゃね?

チョコレ-トもちいと高そうなものからいただき、
先日マカダミアンチョコも完食、残るはラミーチョコじゃ。
これは誰にも見つからんように冷凍庫に隠しとるんよ。
誰にもやらずに独り占めする予定じゃ(笑)。
このチョコは昔から好きなんじゃが飽きんてえ。

チョコレ-トを肴に芋焼酎、けっこうイケル。
体重は当然増え続けとるよ。
『もうちいとしたら絞るんじゃけえ』
そう自身に言い聞かせ何日過ぎた?

変わりゆく五日市Ⅱ

昨日、遅ればせながらの手作りチョコレ-ト菓子を
事務員さんが持って来てくれた。
事務員さんの娘さんが作ってくれたとかで
ワシともう一人の事務員さんに持って来てくれた。

ガドウショコラ?とか言うらしいんじゃが
それを頂きながら、中土手に最近建った分譲住宅に
パン作り教室が出来た話をしたんじゃが、
その事務員さん、五日市に住んどりながら
その分譲住宅群を知らんかったみたいじゃ。

事務所が変わって、あの辺を通る事がないとか?
元の事務所の周辺にゃあ、分譲住宅がえっと建っとる事を教えた。
それくらい、空地とか古い家があったら
どんどん新しい家が建っとるよね?
駅に近い平地はすぐ売れるんじゃろうね?

ワシらも久しぶりに通る道沿いに、
知らん間にビルが建っとる事がようある。
どんどん五日市も変わるねえ。

体は一つ

いろいろお誘いいただくんじゃが、体は一つしかないんよのぉ。
それが是非とも行きたい内容じゃったら辛いてえねえ。

早ようから入っとる予定は別にワシが行かんでもえかろう?
と思うような予定が多いんじゃが、立場が違うと
『こんなぁ、呼んどかにゃあいけまぁ』 的なところがあるんじゃないかと思う。

年齢を重ねとるだけで重鎮的な扱いをするのは的を得てない、
飾りに過ぎん、こーゆー立場の人は多いんじゃない?
出席はしとるが、何も言わずに帰る人って結構多いてえね?
こ-ゆ-ポジションで呼んで貰うのは好きじゃないよの。
呼んで貰うからにゃあ、しっかり仲間意識がないとね。

自分が発起人として呼びかける事も多いんで
『他人の振り見てわが振り直せ』 じゃないが
気をつけにゃあいけんよね。

声を掛けて貰える内が華・・・そう言われるが
もう一つ自分が欲しい時があるてえね?

死語

言葉も時代と共にちいとずつ変わるよのぉ。
神楽に出て来るような言葉使いは近頃はせんけど
何とのう意味は分かるてえね?

ワシらが子供の頃使うとった言葉でも
最近使わんようになった言葉がいくつかある。

『びんびんしょ』じゃの『おすけ』
『ちょうれる』とか『さくれる』
『つばえる』とか『こすい』『ちゃるい』
他にもいっぱいあるんじゃろうが
ワシらも知らず知らずのうちに使わんようになった。

物が無うなって使わんようになった言葉も多いじゃろうね?
炭団じゃのオガライトじゃの練炭じゃの燃料系は多いかもね。
身に着ける物でも多いかも、草鞋じゃの猿股じゃの使う?

このままこれらの言葉は廃れるんかのぉ?

パトカー、救急車、消防車

パトカーにも救急車にも乗った経験はあるが消防車はない。
消防車は消防団に入らんと乗れんじゃろうね?
もう消防団へ入れんじゃろうけえ、もう乗ることは無いじゃろう。

パトカーは中学生の時、ちょっと悪さをして乗せて貰うた。
あんましええ経験じゃないが、警察官を運転手に
後部座席に乗せて貰うのも、善人たるワシにとって
そうそう無い経験じゃったかも(笑)。

先日、わが社に警察官にしちゃあ珍しいべっぴんさんが来た。
地域の調査に定期的に訪問しとるらしいが、
こんなべっぴんさんとドライブ出来るならパトカーも悪うないかも?

救急車はもう6~7年前になるが、交通事故をした時に乗せて貰うた。
ワシが自転車で相手は車じゃった。
さすがに車にゃあかなわんかったよ。

ストレッチャ-に乗せられ、救急車内に運ばれてから
出発するまでの時間が長いんじゃけえ、
救急車の中でいろいろ職務質問や問診みたいに質問され
その間に搬送先の問い合わせをしとるんじゃけど、長う感じたよ。

パトカーも救急車も乗せられる経験は1ぺんだけでええが、
サイレン鳴らしながらの運転はしてみたいてえね?
「こらこらこら!そこのけ、そこのけ!パトカーが通る、救急車が通る!」とね。

変わりゆく五日市

五日市もどんどん変わるねえ。
ワシらが子供の頃は田園風景に住宅が点在する小さな町じゃったのに、
住民が増えるにつれ周辺の山は削られ、どんどん団地になり
ますます周囲から人が移り住んで人口が増えた。

今は国全体の人口が減り始め、いかに広島市のベッドタウンとはいえ
五日市もちいとずつ人口が減っていくんじゃないん?
急激に開発された団地も20年30年と経つにつれ
そこで生まれた子供たちも大人になり都会に移り住む。
今や山沿いの団地は高齢者ばっかし残された団地へと変わってきとるらしい。

そんな中、美鈴が丘の裾野の『ゆらゆら』の裏山、
『丸亀製麺』の裏山が大きく削られて開発中じゃ。
もうこれ以上山が削られて団地が出来ることはないじゃろう
そう思うとったが、八幡神社の裏山といい
町に近いところはまだ開発されるんじゃろうか?

かなり削られた『ゆらゆら』の裏山IMG_2500_1.jpg

総会

冬の雨はイヤなもんじゃが、最近よう雨が降るような気がする。
たまたま外の仕事を予定しとる時に雨になるんで
予定が狂うけえ、余計にそう思うんかもしれん。

今月の下旬にゃあ、秋祭り保存会の総会がある。
財務担当のIさんや会長はその資料作りで多忙じゃろうと思う。
今夜は予算案の内容や会計監査の立会い会議があるとかで
招集がかかったんで行かにゃあいけん。

みんな仕事があるんで時間が合わず、招集係は苦労したみたいじゃ。
ご苦労さんであります。総会を開くのも大変じゃて。

姿隠して喧嘩?

PCの遠隔操作で他人のPCから脅迫文を送りつけた犯人が捕まった。
成績優秀で大人しい人間が、自分の姿が見えんところで
暴力的になったり、過激な行動に出たり、おかしな世の中じゃ。

お互い姿を隠して戦え、肉体的に負傷する事もない。
ふだん発言する事のない者も顔が見えんので発言する。
意見の衝突は当然ある訳で、顔が見えんだけに
発言もエスカレ-トし過激になるんじゃろうね。
その挙句ストレスが溜まり、精神的に傷つき
秋葉原のホコテン暴走事件みたいな事件を引き起こす。

グアムでも日本人観光客の列に車で突っ込み
日本人を刃物で襲った事件があったとか?
原因は分からんが、ホンマ物騒な世の中じゃ。

PCで喧嘩せずに、喧嘩神輿を担ぎにおいでえや。

神輿修復Ⅴ

4年も続くと担ぎ手も何か刺激がないと中弛みし、
徐々に担ぎ手の数も減っていく。
資金を貯めて神輿の修復費を捻出するとの当初の計画は
借金の返済もあり、法被の追加新調などの出費もあって
なかなか思うように累積黒字を積み重ねるには至らんかった。

「5年経って神輿を出せんかったら、今後も難しいよ。
 担ぎ手も減り、しんどい今をどげんかせんと!」
 幹部連中に一層の努力を強いることになるが、
「5年の節目じゃし、やろう!」と訴えた。

「資金はどうする?」
「出来るだけ自分らの手で行い、漆とか金箔の作業だけ依頼しよう」

幸い、大工さん、建具師、絵心のある者、
他に手先の器用な連中が仲間におった。
三村仏壇にも協力を求め、瓔珞や柱の飾りなど
装飾部品の足らんものは中古の部品箱を探して
「使えるものがあったら使いんさい」と言うて貰うた。

神社の輿蔵からボロボロの神輿を集会所へ持ち帰り
横棒も折れとったんで、山へヒノキを伐採に行き
木工所で加工して貰うた。
たしか木工所の人も「神輿の復活になるんなら」と
無償で協力してくれちゃったと記憶しとる。

毎週、日曜日に手の空いたモンが集会所へ集まり
修復作業は進んだ。この共同作業が連帯感を生む。

秋祭りに間に合うようにワシらの作業は早めに済ませ
屋根の漆塗りと胴の金箔貼り作業は三村仏壇へお願いした。
こうしてピッカピカになった神輿を秋祭りに披露
実に神輿の渡御がが中止になって31年振りの事じゃ。
新聞や地元のテレビにも紹介されたが、
神社の境内や沿道で昔を懐かしむ人たちが
涙を流して喜んでくれた事が一番嬉しかった。

大勢の人のお世話になって復活した神輿じゃ、
大切に次の世代に渡さにゃあいけん。

神輿の修復Ⅳ

そうやって先ず俵みこしを直して復活1年目を迎えた。
俵みこしを直し、担ぎ手もなんとか目途がついたが
そ-言やぁ俵を担ぐのに木遣り音頭を詠える人がおってかいの?

早速、昔、詠うとっちゃった人の所にお願いに行った。
用品さんや加島さんが1年目はやってくれちゃったが
「来年はこらえてえや、ついて回るんがしんどいで」と言われ
こりゃあ木遣り音頭を詠える人を育てんにゃあ
詠える人がおらんようになるで・・・と先行き不安になった。

幸い初代会長の堂河内さんやべんてんの島村さんらが
木遣り音頭句集を編纂しとんさった時期で
島村さんが木遣り教室の講師を務めてくれんさる事になり、
『木遣り教室』が始まった。

ワシは習うつもりはなかったんじゃが
教室の生徒が最初は少なかったんで
『サクラ』として教室に参加した。

島村先生の後に続いてみんなで詠う時も
ワシはつけ声だけは知っとったんで、それだけ参加した。
じゃがある日、順番に一人ずつ詠うことになり
ワシはさらさら詠う気が無かったが
席の順番でワシの番になった時
次の人に『どうぞ』と手で案内したら、先生が
「丸さんも詠わにゃあ」と言いんさる。

「いや、いや、ワシはよう詠わんけえ」と辞退したんじゃが
結局、詠わされて、字余り、字足らずの
チンチクリンな音頭になってしもうた。

今では『木遣り部』として立派な組織になり、
毎月2回の練習をこなし、詠い手を育てとるけど
初めはそがぁなかったんじゃけえ。

そうやって俵みこしを出し続け4年が経過した。

つづく  

神輿の修復Ⅲ

さすがに、そんな大金を最初から集める事は出来ん。
先ず、俵みこしを自分らの手で直して花をつなごう、
そして少しずつ資金を貯めて神輿の修復をするしかない。
神輿を直すまでの道のりの長さをこの時感じた。

26年間の空白は大きい。
町内会にも協力を求め秋祭り同好会(当時)を起ち上げ
集会所に眠っとった俵みこしを引っ張り出し修復作業にかかった。
担ぎ手の法被も作らにゃあいけん。
最初の資金は集会所からの借金じゃった。

借金をして法被を作ったら、もう後戻りは出来ん、やるしかない。
町内を1軒ずつ周り、趣旨を説明し理解を求め仲間を集めた。
昔、子供の頃に俵を担いだり、神輿を見たりして
昔の五日市の祭りの賑わいを知っとる人は
「それはええ、やろう!」と言うてくれた。

喧嘩神輿を担いだことのある人は少なかった。
それもそのハズ、ワシが高校3年の時が最後じゃったんじゃけえ。
ワシより若い人は見た事はあっても担いだ事のある人はおらんかった。
ワシより年上の人は「もう年じゃけえ、よう担がんで」 と尻込みしてじゃ。

何とか仲間を集め、日曜日には俵みこしの修繕じゃ。
幸い俵みこしはそれ程傷んでおらず、塗装のし直しと
俵を作って貰うたくらいで済んだと記憶しとる。
担ぎ棒は山の持ち主に許可を得て、自分らで木を倒し
皮を剥いて乾燥させ、足らずを作ったと記憶しとる。

つづく

神輿の修復Ⅱ

カチで頭を殴られ額から血を流すわが大将、
方や、ボコボコに殴られ鼻血を出しながらも絞め技で攻める幹部。
神輿同士のぶつけ合いだけじゃのうて個人的な喧嘩も始まった。
ワシは最前線に配置されとったが、ケガはなかったと記憶しとる。

その喧嘩がどう収拾ついたんか、興奮状態じゃったため
覚えとらんが、その喧嘩を最後に青年団は解散、喧嘩神輿の渡御も禁止された。
それから26年間、五日市八幡神社の秋祭りは子供の神輿しか出なんだ。
じゃが、その子供の神輿を氏子青年団が続けてくれとったけえ
後にワシら秋祭り保存会が神輿を出せる環境があったと感謝しとる。

『喧嘩神輿の復活』これは昔の五日市の祭りを知っとるモンにとっちゃあ
夢じゃああるが、実現には大きな壁のようなもんを感じとった。
じゃが『誰かやってくれんかいの?』では一歩も進まん。
行動を起こさんことには何も変わらんし、誰も動かん。

神輿は神社の輿蔵にめげたまんまホコリを被って置いてある。
これを修復するには相当な金がかかるじゃろう、
なんぼくらいかかるんじゃろう? 三村仏壇に聞いて貰うた。
軽く100万以上はかかるじゃろうと言うことじゃった。

つづく

神輿の修復

昔の旧五日市が『東』『西』『揚』と、どう分かれとったか書いた。
昔の町並みも一部紹介した。
それぞれの神輿の担ぎ手の区域も紹介した。

五日市の『喧嘩みこし』は秋祭りに欠かせんメインイベントじゃった。
喧嘩みこしがあったけえ、小さな町にも秋祭りに賑わいがあった。
そんな伝統ある喧嘩みこしが何故無いよんなったか。

喧嘩みこしの最後はワシが高校3年生の時じゃった。
その年は秋祭りの前に各青年団に警察からお達しがあった。
「今年、喧嘩をしたら神輿の運行を許可せん。青年団の解散を命じる」と
神輿の渡御の途中(往路)でも警察官からそんな指示があったような記憶がある。

世間から『悪の巣窟」的存在に思われとった青年団の連中が
そんな警察官の指示に従う訳がない。
青年団幹部に僅かばかり警官に従う気持ちが万が一あったとしても
OB連中がそれを許すハズがない。

何故なら青年団を退団したOB連中は、退団後も祭りに参加し
法被こそ着とらんが、自分の地区の神輿の近くに同道して
喧嘩が始まったら、われ先にとその輪の中に入って加勢しとった。

その年も警察が止めようが、総理大臣が止めようが
『東」と『西」の睨み合いは始まった。松村呉服店前じゃ。

何でその年に警察からそんなお達しがあったのか?
それは前年の喧嘩みこしで死傷者が出たけえじゃ。
実際は怪我じゃったらしいんじゃが、傷口から破傷風を発症し
亡くなりんさったらしい。

つづく

揚 地区

今の五日市テニスクラブ辺りから北、
コイン通りではパチンコキング辺りから北
たしかその辺が西地区との境界じゃったように記憶しとる。

今は五日市駅から北へ進むとまっすぐ橋を渡って皆賀に行けるが
昔はあの橋は無く、八幡川の川土手で行き止まりじゃった。
皆賀橋は橋桁が丸太で橋の欄干なんか無かったような気がする。
皆賀の人は揚地区の神輿を担いどった。

新宮苑は小学校の裏山で、住宅なんか無かった。
揚地区は南から『揚下』『揚中』『揚上』と分かれ、
地毛まで揚地区の神輿を担いどったらしい。

揚地区はコイン通り(昔は産業道路と呼んどった)沿いにパラパラと家があったが
殆どが田んぼで民家は少なく、中央も五中の前の通りに家があったが
一歩中に入ったところは『競馬場跡地』で田や畑じゃった。

揚地区は人数が少ないせいもあったんか、喧嘩神輿での喧嘩はいつも負けとった。
瀬戸の川から上がった神輿の通り道では、神輿が喧嘩したら道が狭いんで
すぐ田んぼに落ち、収穫前の稲は踏まれて倒れ、わやじゃったよ。

ほいじゃが八幡神社の参道の両側にはビッシリと屋台が並び
それはそれは賑やかな秋祭りじゃった。

西地区

西地区の商店街は『マ-ケット』と呼ばれた中央連鎖街だけじゃった。
今は『佐伯区役所前』という広電の電停があるが、
ワシらが子供の頃にゃあ、あがぁなもん無かったよ。

マ-ケットにゃあア-ケ-ド(テントじゃが)があり、
東側は市木スポ-ツ店から始まって大藤プロパンまで
西側はべんてん呉服店から始まって森書店まで
肉屋あり、文具店あり、花屋あり、パン屋、化粧品店
等々、商店が軒を並べ、映画館まであった。

中土手は今ほど道も広うのうてさみしい通りじゃったが
『中央湯』はその頃からあり、
今でも頑張って営業しとってのには敬意を表する。

マ-ケットから五小にかけての道にも
木谷の下駄屋、八木の天ぷら屋、商工会、小西の質屋
今田の薬局、野田文具店、加川の八百屋などあり、
玉理の魚屋、大賀の米屋、川西のお好み屋、金子金物店、
平瀬薬局、寺地の新聞店、加藤医院、加島表具店と続いた。

ほいでちいと離れて東窪商店があり、
今はコイン通りのセブンイレブンの所が本多商店で
そこからナンマンにかけてはず~っと田んぼじゃった。
間に民家がポツンポツンと点在する程度じゃった。

西も住宅街を抱え、隅の浜、美の里、楽々園、海老園とあり
今の中央1丁目と合わせてかなり広い範囲じゃったが
神輿に参加しとったんは殆どが海老塩浜の人たちじゃった。

東地区

今でこそJR五日市駅周辺は賑わいを見せるが
ワシらが子供の頃の国鉄五日市駅にゃあ北口しかなかった。
藤垂園、吉見園、旭園、海老山町の住民は
藤井モ-タ-スのところの踏切か
辻クリ-ニングのところの踏切を渡らにゃあ駅に行かれんかった。

駅前は大五日市の表玄関じゃのに店らしきものは無く、
土地家屋調査士の古ぼけた看板がある自転車置き場があるくらいで
駅につながる道路も狭うてそりゃあさみしい所じゃった。

今の福屋があるビルのところは『毛利工業』という土管や桝など
セメント製品を作る工場があり大きな土管なんかが
広っぱに野ざらしで置いてあった。
ミツワマ-トの所から北にゃあ殆ど家ものうて田んぼが広がり
焼き場に続く道があったくらいの暗い感じのする所じゃった。

一方広電五日市駅は辻クリ-ニングの所を西進、
久保田ビルの前あたりにあり、駅舎には売店もトイレもあり
駅前から松村呉服店、本通りと続く道には
商店が並び、五日市の一等地的なところじゃった。

2号線に出る道には今の公園になっとる所には
松村ス-パ-があり、その前には向井の肉屋があり
いつも買い物客で賑おうとった。
住んどる人も多いけえ、この辺を地盤とする『東』地区は
神輿の担ぎ手も多く、港を抱え荒っぽい漁師も多く勢いがあった。

リコ-ル成立

やっと正木県議を辞めさせる事が出来たが
こいつを辞めさせるために6000万円も経費がかかったとか?
署名運動をした人たちの活動も合わせたら相当なムダ金を
こいつの為に使うたことになる。

リコ-ルが成立した今、今まで支払われた県議の報酬とか
返却させる事は出来んのんかいの?
県議としての仕事なんかしとらんのんじゃないか?

広島県民として強い怒りを感じるよのぉ。
家族や一族郎党にも相当迷惑をかけとるじゃろうに。
じゃがリコ-ルに反対票を入れた有権者もおるんよの?
何で? う-ん分からん!

岩国、錦帯橋

父方の最後の叔母の49日法要に岩国まで行ってきた。
岩国はさまざまな思い出のあるところ、錦帯橋もその一つじゃ。
今日の法要は錦帯橋にほど近い西福寺で行われた。

父親は8人兄弟じゃったが、これで父親の兄弟すべてお浄土に還られた事になる。
父親は下から2番目なんで、ワシの従兄弟に当たる人は殆ど年上じゃ。
『次はワシの番じゃ』というような年齢の人が多いんで
ワシの生まれる前の五日市の様子、ワシが見たことのない
祖母、祖父のことなど腹いっぱい話してくれた。

食事は場所を変えて、岩国国際観光ホテル別館で本館の川向こうにある。
錦帯橋や川原の駐車場には観光客やその車がいっぱいじゃった。
春には川岸の桜が満開になり、見事なもんじゃてえ。
あと2ヶ月もすりゃあ、またその時期がやってくる。
今日、集まった親族と再会する事があるんじゃろうか?
世代が変わった・・・そう感じずにはおれなんだよ。

地球を汚すまぁで

中国の汚染された空気が西日本にも流れとるとか?
昨日からの雨、せやあないんかいの?

中国ゆ-国は見かけの先進国を目指すあまり、
国民の安全、健康がなおざりにされとる。
新幹線の脱線、転落事故に今回は高速道路の橋脚が
旧正月用の爆竹を積んだトラックが爆発して
橋げたもろとも落下、9名もの死者を出したとか?

大都市の大気汚染はひどいもんで
数年前に203高地に花を手向けるため訪れた大連も
天気はええのにスモッグで何百メ-トルか先は
霞んで見えん状態じゃった。

この度、乗継ぎのため降りた北京もそうじゃった。
車の排気ガス、工場の排気、排水に規制は無いんかいの?
風下の日本にまで流れてくるとは黙っとれんで。

ま、そ-ゆ-日本も福島原発の爆発で放射能をまき散らしたもんね。
その放射能を帯びたかもしれん瓦礫が1年半年以上かけて
北米の海岸に漂着しとるというニュ-スも耳にした。
住み慣れたわが家に帰れん住民もまだようけおってじゃ。

みんなの共有財産である水や空気そして地球を汚しちゃならん。
100年、1000年、10000年先に生まれてくる子供たちが
安心して暮らせるような地球を残しといてやらにゃあのっ!

佐伯郡

平成の大合併で佐伯郡が無うなってしもうた。
ワシらが子供の頃は東西は八幡川以西大野町までが佐伯郡じゃった。
南北は現在の江田島市の内、能美町、沖美町から湯来町、吉和村までが佐伯郡じゃった。
明治の初めは己斐も佐伯郡じゃったみたいじゃ。

それぐらい広かった佐伯郡が今は無うなった。
広島市、江田島市、廿日市市に名前が変わってしもうた。
日本全国でも無うなった郡は多いんじゃないかね?

その土地、その土地の名前はそれぞれいわれがあったんじゃろうに
今は何丁目とかで昔ながらの固有名詞が使われとらん所が多いよね?
ワシらの孫の時代になったら、五日市の楽々園地区には
昔『楽々園』という遊園地があった事を知る人はおらんじゃろうの?
ワシらの子供時代は『楽々園』抜きでは語れんのにのぉ・・・
『佐伯郡』も「何それ?」と言われそうじゃのぉ・・・
最新記事
最新コメント
プロフィール

秋祭り保存会

Author:秋祭り保存会
五日市西地区秋祭り保存会のブログです。

リンク
参加中!
広島ブログ
カテゴリ
月別アーカイブ
検索フォーム
ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる