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今年もお世話になりました、良いお年を

殆ど毎日このブログを仕事じゃと思うて書いとりますが
年末年始、盆じゃの長期の休みの時くらいは休ませてつかぁさい。

今年も地域のみなさん、担ぎ手のみなさん、幹事のみなさん、
大変お世話になりました。お陰様で無事今年も終わりそうです。

来年は西地区秋祭り保存会にとっては記念すべき20周年の年となります。
10周年、15周年の神楽祭りに続いて今回もそうなる予定です。
東の神輿も3年目になりますね、石の上にも3年、と言うけど、
3年続けよう思うたら大変じゃと思うよ。
役員さんらも必死になって頑張っとってじゃもんね。
是非、来年も強い気持ちで早めにスタ-トして下さい。

そして、揚よ。揚の神輿の修理はまだ見積もり段階らしい。
修理は金さえ集められりゃあ、業者に任せときゃあせやぁない。
修理と担ぐんは別じゃもんね、担ぎ手は一過性の勢いだけじゃあ無理じゃ。
ずっと継続して手伝うてくれる人を集めにゃいけん。

それはやっぱし組織作りから始めにゃあいけんで。
何とか協力者を募り、それぞれのお山の大将と交渉せにゃならんのじゃて。
東、西、揚、の三体の神輿が上がる日も近い気がする。
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19年を振り返って

このブログにアップする写真はないかと保存会の写真を探して
あぁ、こんな事もあった、あんな事もあったと
19年間が走馬灯のように頭の中を駆け巡った。

よう19年間も続けてこれたもんじゃと感心するよ。
会長のリ-ダ-シップがあればこそじゃと思うし、
金子前会長の魅力ある人柄に魅かれたところもあったし、
何より祭りで知り合えた仲間がおったけぇじゃろうね。

祭りに傾注する、そんなワシを陰で支えてくれた人たち
特に女房殿をはじめ、周囲の女性たちにも感謝したい。
そんな人たちに支えられ、ワシも祭りのお手伝いに集中出来た。
一人じゃ何も出来んワシを支えてくれた人たちに深く心から感謝したい。

揚の神輿を直すという話が具体的になってきとるようじゃ。
直したら、そりゃあ担がにゃあなるまいて。
目標じゃった喧嘩神輿3基の揃い踏みもやっと見えてきたんかねえ?
揚の長老連中を知らんかったが、徐々に紹介して貰うてきた。
ワシを知ってくれとって人もおってのにはビックリしたね(笑)。
それなりの年になってきた証拠じゃろうね。

東の神輿、修理完成

2010年3月7日、東の神輿の修理が終わり
八幡神社境内で組み立てられ、祝詞があげられた。
ピッカピカの神輿でワシも見に行ったが、羨ましいほどの出来栄えじゃ。
じゃがこの年には諸事象で神輿を担ぐまでに至らんかったみたいじゃ。

ワシら西も19年の歳月が流れた間にさまざまな出来事があった。
平成6年に俵みこしを復活して同11年に神輿を復活、
同15年に青法被から白半纏に衣替え、同16年第1回神楽祭り、
同17年よさこいソ-ランスタ-ト、同19年幟新調、同21年第2回神楽祭り
そして来年大きな節目となる20周年を迎える。

写真をめくりながら思い出す様々な出来事、
しんどい、苦しい、辛い事の方が当たり前じゃが多かった。
ほいじゃが、しんどかったけぇこそ、終わった時の達成感がたまらん。
一人じゃない、みんなでやった事がよけい嬉しいし、連帯感を生む。
祭りを通じて仲間もえっと増えたねえ、ありがたいねえ。

じゃが、ぼつぼつ若い人らとバトンタッチせにゃあいけん年になったで。
若いっちゅうても昔の青年団の若さとはえらい違いじゃけどね(苦笑)。
担ぎ手は、もっと若い人にも来て欲しいよね?
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写真は東の神輿の完成式の様子

旅の計画

忘年会も連荘になるときついね。
今年は2回連荘があったと思うが、もう来年からはやめとこ。
いささか疲れ気味の今年じゃった、もうあんまり無理は出来んのかも。

肘や股関節の痛みがとれんし、体力的にも無理ができんようになったんかも。
精神的にも負担に思うことが多いのも年のせい?
まだまだ精神的には強うなれると思うとったが、こんなもんかの?

ほいじゃが弱気になったら一気に年をとりそうなけぇ
無理はせんようにしながらも、目標は持っときたいね。

今日も旅の計画を練ったが、調べるほどに無理かも?と思うようになる。
第1案、第2案、第3案くらい用意しとかんと何があるか分からんし・・・
せっかく近くまで行くんじゃけえ寄ってみたいと思うと、帰ってくる時間がのうなる。
限られた時間しかないけえね。

ビデオカメラの映像をすべてパソコンに取り込んで
カメラ内を空っぽにするだけじゃのに、説明書見ながらの作業は時間がかかった。
まる1日家におるじゃの珍しい事じゃが、今日は買い物に出る以外はずっとおったよ。
パソコンの知識がしっかりありゃあ、こんなに時間がかからんのんじゃろうに。
自分の力の限界を感じた休日になった。

地域へ恩返し・ボランティア活動

2007年に広島市からの助成金で太鼓を増やした太鼓部は更に活動を拡げ
地域の皆様への恩返しの意味も含め、積極的に演奏活動をするようになった。

老人施設に慰問演奏に行ったり、地域生活支援センタ-の要請に応え
お祭りイベントのオ-プニングで演奏したり、公民館祭りにも参加、
他にも結婚式に呼ばれたり、某団体のパ-ティ-に呼ばれたり
お寺の記念行事に呼ばれたり、地元の小さな祭りで演奏したりと
秋祭り以外にも活躍の場が広がった。

10月、11月は太鼓部・笛班のメンバ-に休日はないと言うてええ程じゃ。
たいがい何かのイベントがあるのは週末じゃけえね。

じゃが地域のみなさんの協力を得て秋祭り保存会の今がある訳じゃし
せっかく同じ五日市に住む者同士、仲良うしたいじゃない。
地域への恩返しとコミュニケ-ションの機会を求め、今も活動しとりますよ。

写真は2008年11月老人施設『花の丘』での慰問演奏の様子004-1_1.jpg

幹事会

祭りを通じて知り合うた仲間たちの中でも
熱心に祭りに協力してくれる人には声を掛け
了承して貰うた人には幹事会へと誘う。

毎月1回、幹事会を開き、祭りが終わった翌月にも開催する。
そうやって反省もし、翌年の計画も話し合う。
強制はせんので都合のつく者だけが出席するが
今では毎回20名くらいは出席してくれる幹事会になった。

祭りや幹事会だけでも充分にコミュニケ-ションはとれるんじゃが
もっとコミュニケ-ションをとりたいとレクリエ-ションも計画。
魚釣りにも船を貸し切って行き、大いに盛り上がった。
釣り竿には手を出さず、ビ-ルとつまみにばかり手を出す者、
最初は釣り糸を垂れとったが、よ-釣らんので カバチを垂れる者
バンバン釣って「また鯛かぁ!」とイヤミを言う者、
大物賞はたしか寒竹棟梁がゲットしたんじゃないかね?

この大物賞の自慢話を寒竹棟梁は2年位酒の肴にしとらんかったかね?(笑)

こうやって年から年中の付き合いが連帯感を生み、祭りの動員につながる。
しかし、これだけ団結力があるのに市民運動会はいつもビリなんよ。

2008年魚釣り大会の船上の様子釣り場に颯爽と出掛ける仲間_1

バチ納め

今夜は今年最後の太鼓部の練習じゃった。
練習は早めに切り上げて、反省会を予定しとったが
本陣が敬老会に予約されとったみたいで反省会は中止。
練習だけで今年の太鼓部の活動終了と相成った。

20時過ぎまで各自好きなように個人練習。
ワシも何度も同じフレ-ズを練習して体が温もってきた頃に
全体でいつもの『出陣太鼓』を通してやった。

もう何年も叩き続けたこの曲、みんなの息はピタリと合う。
心にも刻み込んだこのリズム、腕にも体にも染み込んだこのリズム、
生涯忘れることはないじゃろうと思う。

今日はSさんからワシにプレゼントされた小太鼓を持って行った。
将来、昔とった杵柄で叩くことがあるかもしれんと
自宅に置いとったが、自宅では音が出せん。
いただいて今日初めて音を出してみたんよ。
どうせこの先、自宅で叩くこともないじゃろうと
練習場の公民館の倉庫に置いて帰った。

なんか、あっけない太鼓部の終わりじゃったのぉ・・・。

幟、太鼓、購入

平成19年に広島市の地域活動に対しての助成金を申請し見事、当選。
申請書類を作ってくれた沖村広報部長には感謝じゃね。
彼でなけらにゃあ、あがぁな分厚い書類を作れるモンはおらんで。
ワシも仕事で経革新の申請に行った経験があるけど
面倒な手続きや書類形式にうんざりして、もうやめようと思うた。

その時は、優秀な事務員さんが根気ように書類を作ってくれ
やっと受け付けて貰えた経験があり、助成金の申請の大変さを
誰よりも分かっとるつもりじゃった。

故武田県議にも色々とご指導いただいたハズじゃ。
そのおかげで、見事助成金をいただける事になった。

その助成金で街頭に飾る中幟を買い、太鼓部の太鼓も2丁購入した。
太鼓部もこれで形が出来、腕に磨きがかかった。
あちこちから演奏依頼も増え、太鼓部は祭りが終わっても忙しゅうなった。

街頭もこの中幟が一気に増えて、賑やかになった。
その代わり、手間も増えたっちゅう事よ。、
幹事連中の負担は更に大きゅうなっていったんよ。

写真は平成19年、大祭当日の女性陣の賄い風景IMGP2153_1.jpg

15周年も神楽祭り

第1回の神楽祭りを保存会の10周年記念行事としてやったら
神楽好きの知り合いやご近所の人から
「毎年やるん?」とか「来年もやるんじゃろ?」とか
けっこう支持を頂いた。かなり好評じゃったみたいじゃ。

「うな! 毎年はでけん。金もなけらにゃスタッフもおらん」
そう断り続けとったら、あっという間に5年が過ぎた。

「また何かやらにゃあいけんで、15周年記念に」
幹事会では神楽以外の提案もあったが、会長の意見が強いんよの。
「やっぱし神楽じゃろう!」鶴の一声じゃ。

今度はどこの神楽団が一番人気かいの?
神楽好きなワシの友人に聞いてみた。
「横田もええ、上河内もええ、中川戸もええが、急成長株は宮乃木で」
幹事会でそれを報告し、了承された。

この頃は催事担当は横さんじゃった。横さんが連絡をとってくれ、
会長もワシも横さんと一緒に鈴張の宮乃木神楽団の練習場まで足を運んだ。
15周年記念の神楽祭りは形だけワシが実行委員長として動いた。
毎月の幹事会の会議とは別に、毎月、神楽祭りの実行委員会を開催。
正直、くたぶれたで。

会場は前回同様、五日市公民館をお借りした。
整理券の配布先も連絡先も前回懲りたんで、今度は集会所にした。
やっぱし好きな人は遠くからでも駆けつけてじゃわいや。

写真はこの年、修理し始めた東の神輿
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忘年会

昨日は今年の秋祭り保存会の行事の締めくくりとなる
忘年会を広島サンプラザで盛大に開催した。
日にちの決定が遅すぎたけえか土曜日が取れず
日曜日の昼間っから酒を飲むことになった。

この保存会の忘年会は写真を見ると毎年、大層の盛り上がり方じゃ。
老いも若きも、男も女も底抜けの笑顔で楽しんどる。
ワシは『今年は大人しゅうしとこう』そう思うて
静かにお食事を上品にいただいとったんじゃが
ノセられてしもうて、知らん間に盛り上がりの渦に巻き込まれたよ。
楽しい宴じゃったね。

ワシは忘年会の後は色々買い物があって、
近くのアルパ-クで女房殿と待ち合わせ。
ワシは酔うとるけぇ、えっと歩きとうないんじゃが
「ちょっとあっちの店に行ってみよう」と引っ張られる。

しまいにゃ尻が痛うなって、広場のベンチでちょっと休憩。
そのうちに酔いが覚めてしもうたで。

写真は大いに盛り上がった忘年会の1ショットIMG_3941_1.jpg

神楽祭り裏話

神楽祭りをやるんじゃが狭い五日市公民館にどれだけ入るか?
駐車場の問題はどうするか、会場の飾りつけは?
会場整理は?ゴミの問題は?入場者は先着順か?
いろんな問題が出てくる。

一つの神楽団だけでは次々と演目を舞うのに休憩がとれん。
合間に太鼓の演奏を入れるか?木遣り部に詠うて貰うか?
結局、神楽祭りなんで地元の神楽団にも声を掛けようとなった。

五日市芸能保存会の桂さんとこにお願いに行ったら
快う引き受けてくれんさった。
『神輿を出しましょう』というお願いには
何度話をしに行っても快い返事はなかったのに・・・。

はなから入場料を取るつもりはなかった。
毎年、祭に花をいただく地元のみなさんに
素晴らしい神楽を見ていただきたいとの感謝のイベントじゃ。

じゃが追っかけもおる程の人気の神楽を無料で見れるとなると
それを知った神楽ファンが殺到する事は容易に想像できた。
整理券を作って、まず日頃お世話になっとる方々に
優先的にお配りし、残りを一般に公開する事にした。

秋祭り保存会のHPや中川戸神楽団さんのHP、広報誌
西広島タイムスなどでも整理券配布開始日を伝えた。
神楽祭りのポスタ-も作って、手分けして貼った。

問い合わせ先を中国ユニットの事務所にしたんが間違いじゃった。
整理券配布開始当日、朝から中国ユニットの電話は鳴りっぱなし。
仕事の電話がつながらん程、ひっきりなしに電話が入った。

幹事のメンバ-にも日頃秋祭りでお世話になっとる人にと
優先的に整理券を渡しておいたが、あっという間に定員に達した。

受付、駐車場係、会場警備係、連絡係、接待係、
スタッフは幹事だけでは全然足りず、外部にもお願いし
ウチの事務員さんなんかはご主人まで連れて手伝うてくれた。

入念な準備で臨んだ神楽祭りじゃが開催当日
早めに会場入りしたスタッフよりも早ようから
観客が座布団やシ-ト、飲み物など持って公民館前に並んどってじゃ。
中には整理券を持たずに並んどる人もおっちゃったよ。
神楽会場では珍しい事じゃなかったが
あらためて中川戸神楽団の人気ぶりには驚いたで。

神楽祭り

同好会発足から5年目に神輿を直して担ぎ、
10周年記念には大きなイベントをやろうと幹事会で決めた。
これも一部の幹事からは反対の意見が出た。

それは祭りだけでもアップアップじゃのに、
祭りのちょっと前にそんな大イベントをやるには
幹事の負担が大きいという意見じゃった。

それはたしかな事で、祭りの準備だけでも大変な時期に
別に大きなイベントやるのは負担じゃし、資金も必要じゃ。
じゃが、以前にも書いたが毎年同じ事をやっとったらマンネリ化して
熱い意気込みが薄れてくるのも確かじゃ。

ここは大変じゃろうが、みんなの力を結集して
発足して10年という節目に相応しいイベントをと言う事で
会長が強く主張する『神楽祭り』をやる事に閣議決定した。

神楽団もようけあるが、一番人気の神楽団に来て頂かねばならん。
神楽姫に相談したところ横田、上河内、中川戸が候補に挙がった。
神楽姫が心安うしとる上河内に打診したところOKが出たんじゃが
団長に会う時になって予定しとる日が神楽門前湯治村の当番に当たる事が判明、
それはしょうがないと諦め、当時ス-パ-神楽として名を馳せとった
中川戸神楽団に連絡を取り、練習場まで会長と交渉に行った。

千代田の中川戸地区の小高い山の上にある練習場まで夜、車を走らせた。
能見団長はじめ団員のみなさんは意外に若かった。
快諾していただき10周年記念行事、神楽祭りは催行する事に決まった。

写真は公民館に集まった観衆とくじ引きの景品の自転車P1080327_1.jpg
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東の神輿ご披露

神社の裏山の土砂崩れでめげた神輿を修復した東の神輿披露は
その年の秋祭りには間に合わなんだ。
翌年、何とかピッカピカになった神輿をご披露したいと
機会を狙うとりんさった東地区秋祭り保存会の面々は
『さくらパレ-ド』に参加する機会を得られた。

その話を聞いた西地区秋祭り保存会のメンバ-のは
「それはええことじゃん、ワシらも手伝わせて貰おうや」となった。

東地区と西地区の秋祭り保存会初めての共同作業じゃ。
東と西のメンバ-の交流のきっかけとなったこのパレ-ド
将来の五日市の秋祭りにとって有意義な事じゃったと思う。

この年の3月11日、日本史に残る大災害が東日本で起きた。
祝祭ごとは自粛ム-ドの中、励ましの意味も込め
震災後1か月以上経過したこともあって、
4月17日さくらパレ-ドは開催された。

パレ-ドの行列の中には募金箱を持って
沿道の観衆に訴える人もおっちゃった。
東の神輿が復活したのは実に43年振り、
奇しくも東日本大震災で日本が世界中の耳目を集めとる中での事じゃった。

パレ-ドに参加の東の神輿、西のメンバ-もちらほらと画像 097_1
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打ち上げ

午前中に俵で町内を練り歩き、午後から神輿を担ぎ終えたら
担ぎ手はもうクタクタじゃが、この後楽しい打ち上げがある。
神事があり、神様に神輿から降りていただき神社に帰って頂いたら
みんな、そのまま打ち上げ会場まで歩いていただく。

会場には裏方さんたちが準備してくれた料理や飲み物が用意されとる。
毎年、きちっと準備して貰うて感謝しとります。

「知らぬ同士が小皿たたいてチャンチキおけ~さ~♪」
じゃないが、老いも若きも、女も男も、「お疲れさ~ん!」

1年間この日のために毎月会合を行い、
7月頃からは飾りつけを準備したり、俵や神輿を修理したりと
苦労を共にしてきた幹事連中には、また特別の達成感がある。

当日、朝から賄いの準備をしてくれた女性陣、
数日前から花集めに回ってくれた男女幹事連中
道中の飲み物などを運搬してくれる女性陣、
俵を解体した後の運搬、料理、飲み物を運搬してくれる幹事連中。

見えんところで裏方で動いて貰うとる連中、
交通整理をして貰うた町内会長さん連中、
1年間練習を重ねてこられた木遣り部、太鼓部の連中
そして当日の担ぎ手たちとの連帯感が爆発する場じゃ。

どのテ-ブルも笑顔、笑顔、笑顔でいっぱいじゃ。
幹事連中は『ワシらお客じゃない、ホスト役』と言われとるが
酔うてくると一緒に楽しんでしまうよの?
俵や神輿を担いどる時にゃ私語は出来んが
この席で初めて話をし、新しい出会いがいっぱい生まれる。
毎年、大いに盛り上がる打ち上げである。

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写真は2006年の打ち上げの様子
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女みこし担ぎ手
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賄いのごりょんさんたち

子供会

毎年、祭りが近づくと総掛かり会(決起集会)や子供会木遣り練習などで
町内会や子供会とのかかわりが増えてくる。
秋祭り保存会の目的の一つに地域のコミュニティ-作りがある。
祭りを通してふだん付き合いの無いご近所の皆さんと交流を持ちたい、
せっかく縁あってご近所に住んどるもん同士、仲良うしたい。

秋祭りでは毎年、町内会の役員さんに交通整理をお願いしとる。
子供会さんの秋祭りの俵みこしは伝統行事になっとるが
毎年、役員さんが交代するし、引き継ぎはしっかりやっとってんじゃが
細かいところまでは分からんし、俵の音頭取りも保存会に依頼するしかないんで
保存会としても出来るだけの子供会のお手伝いをするし、
子供会さんにも保存会の秋祭りのお手伝いをお願いしとる。

祭り当日の昼飯や打ち上げの食事作りは保存会の女性陣はもちろん
子供会の役員さんやご近所のお母さん連中にもお手伝い頂いとる。

祭りゆ-たら男衆だけじゃのうて、裏方でそれを支えてくれとる
女性陣(これを博多山笠では『ごりょんさん』と呼ぶ)あっての秋祭りじゃ。
こうした町内会、子供会との繋がりが『地域の和』になると考える。

8年前の子供会の木遣り音頭の練習風景 子供が多いねえ!IMG_2298_1.jpg

竹取物語

秋祭りが近づいた1週間前にゃ昔から家々に天蓋とゆ-て注連縄を飾る。
いつ頃からじゃろうか?西地区に注連縄だけじゃのうて
大注連縄や提灯を飾るようになったのは。
すべてこれら現会長の提案じゃ。

それを飾るだけでも大仕事じゃのに、竹を立てようと言い出しんさった。
たしかに昔は家々に注連縄の他に竹も立てとった記憶がある。
祭りが終わったら、その竹は物干し竿にしとった。
今じゃゴミとして短う切って束ねて出さんといけんけどね。

さて竹を採るゆ-ても近くに竹林があるかいの?
最初の年は松村呉服店北側の殿山の竹を切らせて貰うた。
翌年は光禅寺の裏山の竹を2年間採らせて貰うた。
小さな竹藪じゃと70~100本も採ったらハゲ山になる。

ほいで翌年からはYさんにお願いして現在の皆賀の山に入らせて貰うとる。
ここの竹藪はけっこう広いし、孟宗竹から真竹、破竹と色々ある。
孟宗は持って帰るんも大変じゃし必要ないけえ、それまで切らんかったが
数年前から会長が本陣前の飾りつけをするのに太い竹が必要なんで
切り始め、上の方は町の飾りつけに使い、下の方は本陣に使う。

竹藪も手入れが必要で、間引きをして日光が入るようにせにゃならん。
それを考えながら間引きするように切っとるつもりじゃが
そうなっとらんところもある。みんな考えて切ってよ

この竹を切り出すのも大変、枝を落とすのも大変
トラックに積み込むのも大変、町中を引こずって立てて歩くのも大変なんよ。
この『竹取物語』の日は汗だくになり、みんなクタクタになる。

ほいじゃが、祭り飾りをしたワシらの地区と他の地区では
全然雰囲気が違うんじゃけえ、いっぺん祭り前に来てみつかぁさいや。

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神輿復活2

神輿を復活させてから、当然じゃああるが神社とのつながりも深まった。
秋祭りの神幸祭の一環として神輿の渡御があるけえじゃ。

神社との折衝は当時の高瀬副会長が当たってくれちゃった。
宮司さんや氏子総代連中との話になると思うが、
当時の総代は機能しとったんかどうか印象に薄い。
ただ宮司さんと氏青との関係はしっくり行っとらん空気は感じた。

なにはともあれ31年ぶりに神輿を出して塩屋神社まで渡御した。
当時は宮司さんも巫女さんも行列して神輿に続き、
途中の若宮神社と五つ神社では巫女舞いも披露した。

沿道にはうわさや報道で『喧嘩神輿復活』を知った人らが迎えてくれた。
中には涙を流して喜んでくれる人もおっちゃったとか。
秋祭り同好会発足5年目で念願の喧嘩神輿を出せた感動に浸る事ができた。

昔の喧嘩神輿の様子、こんな賑わいを取り戻せたら
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東の神輿も復活

東の神輿が復活するきっかけになったのは2009年7月27日の大雨じゃ。
『神社の裏山が崩れとる』との連絡を受け、すぐ神社に駆け付けた。

「い~いっかぁ!」輿蔵が土砂に押し潰され、神輿が下敷きになっとる。
西の神輿も傷ついとるかもしれんが、東の神輿はワヤじゃ。

すぐ東窪会長に連絡、と同時に東の会長の湯蓋さんにも連絡した。
東窪会長は現職を退いとりんさったがまだまだ消防にはにらみが効く。

夕方、仕事の合間に気になって神社に行くと
会長や湯蓋さんら関係者がえっと来とりんさった。
消防隊員も多数駆けつけ輿蔵が崩れんようにつっかい棒をして
神輿を1体ずつ輿蔵から運び出してくれた.

東の神輿が体を張って西の神輿を守ってくれたおかげで
西の神輿は殆ど無傷じゃったが、東の神輿は屋根の返しが折れ
見るも無残、大修理を要する状態じゃった。

じゃがこれがきっかけで、東の祭り保存会の皆さんが一年奮起、
ついに『神輿を直そう』となった。

土砂崩れで押し潰された輿蔵、中には神輿が・・・
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神輿復活

秋祭り同好会が発足して4年過ぎ、担ぎ手もマンネリ化してきた。
発足当時から宣伝に協力的じゃった地元ケ-ブルテレビのチャンネルUも
ニュ-スバリュ-がないもんじゃけぇえっと食指を伸ばして来んし、
地元のコミュニティ-紙も関心を示してくれんようになった。

「このままじゃジリ貧状態になってしまう。大変じゃが神輿を出しましょう。
 来年は発足して5年目の節目の年になるんで、ちょうどええんじゃない?」
そう現会長に進言し、幹事会でも提案した。

幹事のみなさんからは「午前中の俵だけでもやねこいのに、更に神輿も?」
と不満の声も当然上がった。ワシ自身も不安はあった。
じゃが幹事はじめ担ぎ手の士気を再び高めるためにも必要と感じた。

神社に訳を話して神輿を集会所へ持って帰ってから
日曜日に手の取れる者が出て、自分らで直せるところは直した。
折れた横棒はワシの知り合いの家具屋さんで加工して貰い、
漆と金箔は三村仏壇さんへ出した以外はみんなで直した。
この共同作業がまた連帯感を生むんじゃね。

そうやって秋祭り同好会を発足して5年、
喧嘩神輿が姿を消してから実に31年振りに神輿が復活した。

写真は2001年の神輿組み立ての様子100-0067_IMG_1.jpg

発足

担ぎ棒を乾燥させるのに『背割り』と言うて
生木は乾燥の過程で必ずヒビが入るんで、
そのヒビを1か所に吸収させるために予め鋸目を入れる。
これはワシも知っとったし、大工の故新宅さんも知っとった。

次は担ぎ棒を俵本体に結ぶロ-プが必要じゃ。
これは麻縄でないといけん、水をかけると縮んで締まるけえじゃ。
麻縄なんかどこに売っとる?
それは長老の現会長が「漁具を売っとるとこにある」と教えてくれた。

俵を直すのにもロ-プを買うにも金が要る。
肝心の法被さえも無いんじゃけえ、それをどうする?
集会所の積立金から30万円借金することで、解決した。
とりあえず法被も30枚じゃったか、50枚じゃったか注文できた。

俵の修復は業者に出さず、みんなが日曜日に出てやった。
大工もおりゃあ、建具屋もおる、絵付けは平稲画伯の作品じゃ。
米俵もないけえ俵を作れる人にお願いして寸法を指定して作って貰うた。

祭り1か月前から仕事から帰った夜、中山さんと近所を歩いた。
担いでくれそうな男衆のおる家を1軒ずつ訪ねてお願いした。
「はぁ若うないけえ、担げんよ」
当時ワシの同級生ゆ-たらまだ40過ぎじゃのに、そがぁな事を言う。
今じゃあ青年部の若さじゃんか!

なんとか担ぎ手も交通整理の町内会長さんにも協力して貰うて
26年ぶりに大人の俵みこしが復活した。

子供会のお手伝いからの続き

高瀬さんは北海道出身で地元の人じゃなかったが
町内会長を何期も勤めるなど、地域の繋がりに力を尽くしてくれちゃった。
じゃが、昔の五日市の祭りを知っとってんないけえ
東窪会長とワシに「やりんさい応援するけえ」と背中を押してくれんさった。

青組の10町内会長に一堂に集まって貰い『秋祭り復活』ののろしを上げた。
じゃが、殆どの町内会長さんは「そりゃあええ事じゃ、やりんさい」
「やるのは、あんたら」みたいな感じの発言じゃああったが、
中には進んで協力してくれて町内会長さんもおってくれちゃった。
一人じゃあとても出来はせんが、一人でも二人でも協力者がおってくれたら
ものごとは動き出す、早速協力者を求め同級生、友人、知人を回った。

「ええことじゃん、頑張りんさい!」
「ほぉかぁ? そりゃあええ事じゃ、頑張って!」
「ワシらも以前復活させようと動いた事があるが、ダメじゃったんよ」
いろんな人が賛同の声は出してくれるが、
「ほいじゃあ手伝おう」と言うてくれる人は少なかったのぉ。

実の弟は昔の祭りを知っとるし、絶対手伝うてくれると信じとったが
「兄貴よい、みんながみんな祭りを好きじゃの思うなよ
 そ-ゆ-のが嫌いなモンもおるんじゃけえ」とたしなめられた。
これは想定外じゃったが、祭りを嫌いな奴もおるんじゃと知った。
じゃが弟の同級生の浜ちゃんは気持ちように手伝いを申し入れてくれた。

秋祭り復活に力を貸そうとしてくれる人が何人か集まり
俵みこしを引っ張り出してみた。
当然修理が必要じゃし、担ぎ棒は傷んどって不安があるんで
山に切りに行こうと決まり、会長が木を提供してくれる人を探してくれた。

木を切るのは寒い時期がええ、温うなると虫が入るけえじゃ。
湯来温泉よりずっと奥の本多田地区の山に切りに行った。
持ち帰ったらすぐ皮を剥いで乾燥させるのよ。
皮を剥がずに置いといたら、皮が剥ぎ難うなるけえね。

つづく

写真は2004年10月9日宵宮の様子 みんな若い、故武田県議の顔もP1080423_1.jpg

子供会のお手伝いから

今では地域のお手伝いには声を掛けて貰えるようになったが
ウチの長男が子供会にお世話になるまでは
ワシも地域の行事は母親や女房殿に任せっきりで
手伝うどころか顔を出すこともせだった。
ま、声も掛らんかったしね。

それがウチの子供が子供会にお世話になるようになったら
女房殿からそのお手伝いをするように言われだした。
渋々祭りの幟立てや廃品回収の手伝いをするようになった。
それまでは自分の趣味に没頭し、近所の人の顔すら知らんかった。
昔から近所におって人は知っちゃあおるが
嫁に来ちゃった奥さん連中や、新しゅう引っ越して来ちゃった人は
どこのどなたか全然分からず、女房殿の方がよう知っとるくらいじゃった。

その内、女房殿が子供会の役員をするようになって
秋祭りの手伝いにワシも出てくれと言うようになった。
初めて手伝いに出た時、すでに現会長が祭りのお世話をしとんさった。
それがワシと会長との接点の始まりじゃ。

近所じゃけえ、東窪さんというおっさんがおってのは知っとったが
年が10も離れとるし、片や悪、片やワ-クブック組じゃあ
接点があるハズもない。
それが、あの頃は子供会の俵が終わったら、集会所で打ち上げをしとった。
子供会の役員さん、交通整理の町内会長さん、お手伝いのお父さん方じゃ。

その席で新参者のワシは東窪会長のところへ酒を注ぎに行き
懐かしい昔の五日市の秋祭り、喧嘩神輿の話になった。
ワシも喧嘩神輿の最後の時の当事者じゃああったし
青年団で6年間お世話になり、昔の祭りを知る唯一の父親じゃた。

東窪会長と昔話に花が咲き、ワ-クブック組のワシも
悪の東窪マジックにまんまと感染したみたいじゃ(笑)。

それが2年続き、翌年の秋祭り子供会の打ち上げの席で
当時のワシらの町内会の会長じゃった高瀬さんが
「そんな五日市の祭りがあったんなら復活させたらどう?」
そう東窪会長とワシに投げかけてきんさった。

昔の武勇伝を打ち上げの席で披露しとった二人は引っ込みがつかず
また酒の勢いもあって「よしっ! やったろうじゃない!」
つい口走ってしもうたんよ。  つづく

笛班

笛班は太鼓部に現在属しとるけど、単独でも練習を重ねとってじゃ。
太鼓と言やぁ笛も打ち鐘も付きもんじゃ。
太鼓部が出陣式に太鼓の演奏をしだして間もなく哲っちゃんのお父さんが
笛を持って来んさって祭囃子を吹いてんよ。

このお父さん、もう亡くなっちゃったが祭りにゃ欠かせん人じゃった。
だいたい器用な人で文化人でもあったのよ。
油絵は描きんさるし、音楽も好きで楽器も弾ける。
俵や神輿に細かい絵筆の作品を残しとってじゃ。

笛班の創始者といえば、やっぱしこのお父さんになるじゃろうね。
この横笛っちゅうのはなかなかええ音が出んのよ。
吹きゃあ鳴るっちゅうもんじゃないけえ、取組みにくい。

それをまったくの素人から笛教室を開くまで腕を磨いちゃったんが
今の笛班師匠、信部事務局長さまじゃ。
今ではお弟子さんもようけおってじゃし、自作の笛まで作りんさる。
恥ずかしながらワシも弟子の一人なんじゃが、いまだに音が出ん(涙)。
落ちこぼれお弟子さんじゃ。

じゃが、あの澄んだ笛の音は大好きなんよ。

保存会、笛のル-ツを探したP1080430_1.jpg
CIMG2989_1.jpg

木遣り部

木遣り部を作ったんは保存会が発足して2~3年経ってからじゃった。

最初の年は、昔、音頭取りをしとっちゃった加島さんとかにお願いしたが
翌年は「今年はもう勘弁してえや、ついて歩くんがしんどい」と言われ
木遣り音頭の詠える人を養成せにゃあ先行きならんでとの危機感を持ったけえじゃ。

2年目は用品さんとかに頼みに行って、なんとか凌いだが次の年は危ない、
そう感じてその頃木遣り音頭集を編集しとんさった島村さんにお願いし、
『木遣り教室』を開催、年が明けてまもなくじゃったと思う。

ワシは全然詠えんかったし、詠おうとも思わだったが
島村さんにお願いした手前、教室を開いても生徒が少のうちゃあ申し訳ない。
その気持ちだけで木遣り教室の席に着いたが、つけ声を付けるだけのつもりじゃった。

島村さんがお手本を見せ、練習した後で一人ずつ順番に詠う事になった。
ワシはやる気まったくなしじゃけえ、ワシの順番がきても知らん顔しとったら
「丸さん、あんたも詠わんにゃあ!」と島村先生、
「うな!わしゃあよ-詠わんし、その気じゃないけぇ!」
「ダメよ詠わんにゃあ、ええけぇやってみんさい」
しぶしぶ皆さんのマネして詠うてみたが、字余り、字足らずで
何とも音頭にゃあなっちゃあおらんのよ、恥ずかしい限りじゃったで。

それでも回を重ね、その年の秋祭りにゃあデビュ-させて貰うた。
詠う人数も多く、ワシの出番はちょびっとじゃったけどね。

それから五日市の各地区から生徒さんが集まってきた。
句集目当てのけしからん生徒もおったが、
ワシらんとこの句集は、木遣り教室の有識者連中が
古文書やいろんな文献から情報を集め編纂したもんじゃけえ
口伝で伝わったものを文書化しただけのものより
かなり正確なもんになっとると自負しとる。

写真は6年前の神社での俵、裏山が懐かしいねえPA140073_1.jpg

太鼓部

そもそも五日市の秋祭りに青年団で太鼓を叩いた記憶はない。
秋祭り保存会(当時は同好会)を発足し、2~3年も経過すると
物珍しさや懐かしさもマンネリ化し、俵の担ぎ手も減ってくる。

その頃『鼓童』とか『天野太鼓』とか和太鼓がブ-ムを呼んどったのもあり、
若者を惹きつける何かが欲しいと考え、倉庫に眠っとった大太鼓を引っ張り出し
たった1丁の太鼓を寝せて会長、H副会長、ワシの3人で叩き始めたんが始まりじゃ。

これは能登の御陣乗太鼓をマネたものじゃああったが
秋祭り保存会発起人の一人Tさんの奥さんにシ-ツで死に衣装を作って貰い
それを羽織って叩いた。今、考えると恥ずかしいのぉ・・・

太鼓演奏は『鼓童』はじめ『天野太鼓』などプロ太鼓集団をはじめ
地元、向井さんらの太鼓も見物に行ったりして所作なども研究した。
練習場所も最初は集会所で叩いたりしとったが、近隣から苦情も出て
区民文化センタ-など転々として、今に至る。

今では毎年オファ-もようけ頂き、感謝しとりますよ。

写真は2002年、芸北は旭温泉で見た太鼓演奏102-0285_IMG_1.jpg

佐伯郡

以前、母親の遺品などの片付けをしとったら
母親が嫁に来た頃のメモ帳みたいなんが出てきた。
ウチの親父が8人兄弟じゃったんで名前を覚えようとしたんか
伯母さん連中の名前と長女、次女・・・などのメモじゃ。

昔は兄弟も多かったんで、その名前もその子供の名前も覚えにゃいけん。
区別がつかなんだじゃろうと思う、特徴なども書いてあった。
それをきっかけにワシも家系図を作っとこうと思い
手元に謄本などがあったんで書いてみた。

その謄本を見て、昔は今の西区己斐も佐伯郡じゃったと知った。
佐伯郡己斐村とか佐伯郡井口村なんじゃけえ。
佐伯郡は広かったんじゃねえ? その佐伯郡はもう消滅してしもうた。

ワシらが子供の頃から言うたら駅も増えとるねえ。
広電もJRもけっこう駅が増えとるのに気づく。

昔の広電は楽々園-五日市-鈴峯女子大前-井口
-中央魚市場前-草津-古江-高須-己斐 じゃった。
佐伯区役所前、商工センタ-、東高須、の駅が増えとる。
楽々園より西側も増えとるけど、あんまし乗らんけえ
駅名がよう分からんので書かんがね。

ついこないだじゃけえ。
ついこないだまで佐伯郡にゃえっと町や村があったのに・・・
住居表示も変わりゃあ、駅も変わる。
こりゃあ浦島太郎さんじゃったら、外国かと見間違うかもよ。

緊張感

公民館祭りの開会式のステ-ジ、幕の裏側。
もう何回緞帳の裏で開会セレモニ-の挨拶を聞いたじゃろうか、
初めてステ-ジに立った頃、緞帳の裏でMちゃんは
「うわぁ~!どうしようドキドキする」とか不安を隠せん様子じゃった。
もちろんワシらも緊張感いっぱいで幕が上がるのを待っとった。

今日の幕の裏側では、笛のSさん曰く
「今年はステ-ジに立つ事が多かったせいか、何か緊張感がないですよね?
 昔は、音がちゃんと出るじゃろうかと心配したもんですが・・・」
みんなリラックスした様子で幕が上がるのを待っとった。

「それでは五日市西地区秋祭り保存会さんの・・・」
の司会の言葉でやにわに太鼓の前に構える姿にはどこか余裕があったで。

演奏が始まると同時に入り口に観客が殺到?
後ろの方は立ち見のお客さんでいっぱいの状態になった。
『ワシらの太鼓も大したものになったで』
心の中でニンマリしながら演奏を続けた。

今までになかった事じゃが、すぐに理由が分かった。
ワシらの出番の後に幼児グル-プの出番が控えとったんじゃ。
その親たちが、もうすぐわが子の出番なんで入ってきたんじゃ(苦笑)。

ま、ほいじゃが空席の目立つ会場で演奏するより
満員の会場で演奏する方が気分ええに決まっとる。
幼児たちに感謝せにゃあいけまぁで、 のっ?
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