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来年もよろしく!

今年もあと10時間を切ったねえ。
ワシは今、予約しとった年越しそばを取りにソバ屋さんへ行ってきました。
この蕎麦屋さんは神楽姫に紹介された出雲そばの店なんじゃが、
なかなか美味しいのよ。女将もべっぴんなのよ(笑)。

洗車しよう思うたら雨が降るしで、ちいと様子を見ながら
事務所へ出て、郵便物などのチェックをしたところ。

月末になってウチの事務所を訪ねてくれた女性が二人もおっちゃったらしいのに
一人は場所が分からんかった、一人は留守じゃったらしい。残念なり~!

さて今夜は息子一家がやって来て、わが家で大晦日を楽しむ。
除夜の鐘が鳴る頃まで長女が起きとったら
光禅寺に連れてってやると約束しとる。
長女は除夜の鐘より、光禅寺で振舞われるぜんざいが食べたいだけじゃ(笑)。

みなさん、来年も五日市の秋祭りを応援したっつかぁさいよ。
よろしくお願いします。ええ年を迎えて下さい。
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正月の準備

どの家も事業所も大掃除や買い物で大忙しじゃろうね?
わが家も一緒で大晦日には孫たちが遊びにやってくる。
先日、八幡神社の初もうでや光禅寺の除夜の鐘の話をしてやったら
長女が光禅寺の除夜の鐘にえらい興味を示した。

除夜の鐘と言うより、お寺のお世話をする人たちによる
ぜんざいに興味があるようで・・・(苦笑)
今もやっとってんかどうか知らんが(しばらく行ってない)、
大晦日の除夜の鐘が鳴る頃まで起きとくけぇ、
連れてけと予約されとるのよ。

まだ4歳の三女までが「わたしも行く!」と張り切っとるんじゃが
ホンマにそこまで起きとけるんかどうか・・・
ワシの方が寝てしまいそうなんじゃが・・・。
年越しそばも明日、打って貰うたのを引き取りに行く。

娘たちは今日から婿の実家がある大阪に行くんで
わが家に来るのは2日の予定なんじゃが、
婿殿は 「元旦に年始に行かん訳にいかん」 と
えらい律儀な事を言うとるらしい。

「そがいに気を遣わぁでもええけぇ、ゆっくりして来い」
とは伝えたんじゃが、一昨夜尿管結石で救急車で市民病院へ・・・
昨日1つ石が出たらしいが、せやぁないんかいの?

今年最後の出勤

昨日は朝から晩までせわしかったせいか、書き込みを忘れとった。
今日で今年の仕事納めじゃ。
今日は2つの現場をこなし、大掃除して終いじゃ。

毎年、恒例のお歳暮のあみだクジもい準備しとかにゃあならん。
今日は自転車にバケツ持って、作業着で出勤。
やる気まんまんじゃろ?

昨日の夕方、決めて頂いたH邸の仕様をメ-カ-に連絡、発注しとかにゃいけんが、
メ-カ-の営業は昨日までじゃったらしい。
一応、ゆんべ走り書きしてメ-ルで送ったが、受け付けて貰えたんかどうか?
今日、ちゃんとした書式で発注しとかにゃならん。

蕎麦打ち学会?

ゆんべのライブで疲れたワシら夫婦が起床したのは午前8時頃、
休みの日でも、こんがぁに遅うまで寝とる事はまずない。
ワシにとって最後のビッグイベントじゃった。

祭り関係者も何人か来てくれた。
顔を知っとる人が三分の二以上はおっちゃったようじゃ。
盛り上がって、ふだんは大人しい女性も
終いには踊りだしてビックリ!

車をイズミの駐車場へ置きっぱなしにさせて貰うとったんで
朝食後、車を取りに行ってから集会所へ・・・

蕎麦打ち教室かと思うたら『蕎麦打ち学会』じゃったらしゅうて
ずっと師匠が、こね、打つのを見て、学んだ次第であります。
試食する頃にゃあ会長も重役出勤で来られ、
見慣れぬ太鼓部の新人?の若い男女も来て
かなりの人数で頂いたが、なかなかのお手前でございましたぞ。

打ちたての茹でたてでもあったんで、コシもあり美味であった。

ワシは午後から用があったんで一足先に帰ったが、
太鼓部は今日が『バチ納め』の日じゃったようで
公民館でバチ納めをした後で、また本陣に帰り飲むんじゃとか?
まぁ、みんな酒が好きじゃのぉ・・・(笑)

豆絞り

今日、仕事から帰ったらテ-ブルの上に封筒が置いてあった。
東のAさんからで、分厚い封筒には何かが入っとるようじゃった。
ワシの貧乏な暮らしぶりを気の毒に思うて、札束か?

開封してみると中に写真と豆絞りが入っとった。
今年の秋祭りの時の東の俵もみの写真でワシが写っとる。
音頭取りが一人じゃあ大変じゃと思い、ちょっとだけ応援に行った時のものじゃ。
その時の写真を律儀に持って来てくれんさった。
札束と間違うたのは、豆絞りじゃった。

昔は東も北も西も法被はみんな一緒で、鉢巻だけが違うとった。
東は豆絞りじゃった。北は青色で西はピンクじゃった。
なんか西だけ女の子みたいにピンクで、印象が良うなかったのを覚えとる。
東は花の御礼にその豆絞りを渡してんじゃろうね?
Aさんの心遣いに感謝し、早速お礼メ-ルを入れた。

すぐ返信が入り、近いうちに一杯やりながら祭り談義をしようと言うことになった。
明日のライブが終わったら、全ての師走の飲む予定は終わりじゃ。
都合がつきゃあ、早めにやりたいものじゃ。

何はともあれ

何はともあれ感慨深かった2015年はもうすぐ終わろうとしとる。
実に47年ぶり、約半世紀ぶりよのぉ・・・
の喧嘩神輿の復活は、形だけは21年前の夢が叶うた。

21年ゆ-たら、ワシらから言うたら、ついこないだじゃが
赤ん坊が成人する年月なんじゃもんの?
ワシらの最初の頃の写真が若いハズじゃ。

ワシの頭も鋤かにゃあいけんくらいじゃったのに、
今はブラシでなでるのも、そっとなでにゃあいけん程じゃ(笑)。
会長の御髪も七三に分けとんさったのに・・・
時間というものは色んなものを置いてってもくれるが
色んなものを持ってもいぬるよのぉ・・・・。

紆余曲折、いろいろあったが、ええ仲間を貰うた。
祭りに参加せん人から見たら、この祭りの集団ゆ-たら
『怖い』 『いかつい』 『柄が悪い』 『無法集団』 
みたいに思われとるんじゃと(古い人だけかも?)
決してそがぁな事は、ありゃぁせんけぇ、
この仲間、ワシの宝物なんじゃけぇ。
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2015年

色々と五日市西地区秋祭り保存会の足跡を辿ってきたが、
苦節21年、2015年、平成27年は忘れられん年になった。
西にとってもそうじゃが、東にも北にも記念すべき年になった。

旧五日市地区の昔の祭りを知る住民にとっても、
特に昔、喧嘩神輿に参加したことのある人にとって
感慨深い年になった事と思います。

47年ぶりに神輿の復活は成ったにしても
祭りの賑わいは昔と比べようもなく、
宵の宮、大祭当日の神社の寂しさは不思議でしょうがない。
神輿や俵が出入りする時だけ担ぎ手などの人がおるだけで
他所の神社の祭りの風景に比べ実に寂しい。

何でなんじゃろうね?
夜店がズラリと並び、子供たちが集まる、
そんな賑わいを取り戻したいね。
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連合会


さくらパレ-ドでは東と西が合同で打ち上げ出来たが、
出来りゃあ北も一緒にやりたいよね?
ただ場所が近くに無いんよね?

立食でやるなら入れんこともないけど
飲食が出来て、座れて、出来りゃあカラオケもあって・・・
東の忘年会は駅のスパ-クの上でやったみたいじゃけど、
多数の参加者があったと聞く。
西の忘年会は毎年、参加者が少ない。
幹事だけでなく、広く担ぎ手も誘うてやりたいよね?
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47年ぶりに喧嘩神輿が勢揃いしたんじゃ。
ここから来年、再来年、その次と続け、
いろんな団体と一緒になって、昔の賑やかな祭りを再現したいね。

蓋を開けるまで分からん

なかなか時間が無うて書けん。
まだ仕事があるんじゃが、これも仕事と思い、書き始めた。

皆賀地区はSさんTさんKさんと芯になってくれて人がおってじゃけぇ甘えてしまう。
揚上は会長の足元じゃけぇ友人・知人に積極的に声を掛けとってじゃ。
じゃが揚上の神輿の時間調整は難しいようで、
そっちからの担ぎ手の応援は見込めん。
ただ親分のOさんが、こっちを向いてくれただけでも
来年、再来年へと希望がつながった。

揚上のトップセ-ルスマンのI氏も息子に声を掛け、
友人の娘婿にも声を掛けてくれたらしい。

そんな時に、仕事の用があって某郵便局へ行くと、局長が声を掛けてきた。
「丸本さん、揚下は無理よ、俵があるけぇ。
俵に時間を合わせじゃの言わずに、神輿の方で調整すりゃあええじゃん」
カチンと来た。

大きな声で局の中で言い合うもんじゃけぇ、局長の奥様も苦笑い。
お客さんに迷惑になっちゃあいけんけぇ、えっと言わだったが、
揚下の俵グル-プには、まったく期待出来んかったが
役員の一人は、そんな中で神輿への応援を説いて回ってくれちゃったと聞いた。

そ-ゆ-人が一人でもおってんじゃけぇ、ワシも揚下地区の知り合いに
「神輿を担ぎに出てや」 と微力ながらも声を掛けた。
祭り前日まで 『○○さんがダメになった』 とか
『△△さんが一人連れてきてくれる』 とか、
蓋を開けて見るまでワシには人数が掴めんかった。
北の役員さんらは、それでも把握しとっちゃったんじゃろうのぉ。
ちゃんと蓋を開けたら来てくれとんさったけぇ(笑)。

秋の大祭に向けて

さくらパレ-ドでは皆賀、揚上、揚下のそれぞれの俵の担ぎ手が
参加してくれたんで、北の神輿が一番担ぎ手が多かったくらいじゃ。
じゃが、秋の大祭となると俵の時間調整をして貰わんと
神輿の方に参加するのは難しい。

北の保存会会長Iさんは交友関係や工大などに声を掛け
役員さんたちも知り合いに声を掛けたりして
俵の担ぎ手以外で担ぎ手の確保に努めてくれちゃった。
『北の神輿を担ごう会』でもそれぞれ北地区に住む友人知人に声を掛け
人集めに躍起になっとった。

その頃、東、西、北の保存会を取りまとめる『連合会』の話が出始めた。
実はその構想は、東のAさんらと何年か前から話は出とった。
じゃが、ワシはまだちいと早いと思うとったが・・・。
まぁ、周りでそ-ゆ-雰囲気になったんなら、ええか・・・と賛同した。
東、西、北じゃの言わずに五日市の祭り保存会で協力し合う。
ええじゃん!

2015さくらパレ-ド

東も西も秋祭り本番とは違う時期の神輿に何人集まるか、不安はあった。
また朝から降ったり止んだりのいなげな天気に
『約束した連中はホンマに来てくれるんじゃろうか?』
それぞれの役員は早ようから神社から中央小へ神輿を運んで
空を眺めながら心配しとったんよ。

午前8時に『パレ-ドは決行する』と決まり火矢(煙火)が上がった。
じゃが出発時間が迫るにつれ雨足が強うなる時もあった。
その為パレ-ドの開会式は校庭でせずに体育館の中でする事に・・・。
実行委員会の幹部も『決行』と決めたものの、まだ悩んどる様子。

各神輿に集まった担ぎ手は出す気満々よ。
じゃがついにパレ-ドは中止になった。
収まらんのが神輿の連中、とりわけ西の会長が納得せんのよ。
東のM会長は「安全が一番、やむを得ない」と抜いた刀を鞘に納め始めた。
これが常人の考えかもしれんが、西の会長は異端児(?)
「雨は止む! 言うとろうがい!何で中止にするんや?」 と引き下がらん。
西のわれわれはこ-ゆ-会長の姿を何年も見とるけぇ
別に驚きもせんし、会長に賛同する者が多い。

結局、パレ-ドは中止じゃが、ガ-ドマンは来てくれとるんじゃし
コイン通りをガ-ドマン付きで、神輿だけ担いで神社まで帰ることで結着。
集まったマスコミも取材出来てほっとしとったよ。

この後、打ち上げを東と西が初めて合同でやったのはえかったね。
北は、先ず皆賀、揚上、揚下の交流を優先すべきと合流せだった。

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さくらパレ-ド

神輿は直ったし、法被も揃えた、後は担ぎ手だけじゃ!
東の神輿が春のさくらパレ-ドでデビュ-したのに倣い
北の神輿もさくらパレ-ドでごお披露目しようと話が出た。

『北の神輿を担ごう会』の席でT中央小学校区連合会長さんが
「やるんなら3基勢揃いで出して貰うとさくらパレ-ドの宣伝文句になる」
と発言されたが、その時点では北だけでは人が足らんので
東も西も協力して全員で北の神輿をパレ-ドで担ごうと計画しとったんで
「それは考えておりません、北の神輿だけのつもりでおります」
とワシが説明し、ほいじゃあ北だけの披露にとどめようとその時はなった。

会議が終わって帰ろうと公民館のロビ-におる時
「さくらパレ-ドなら北だけで担ぎ手は集めるよ」
そう言うてきた者がおるんで
「ホンマにぃ? ほいならさっきの会合で言やぁえかったのに・・・」

もし北だけで出せるんなら東や西にも声をかけて
3基揃うて担いだら今年のさくらパレ-ドの目玉になる。
大変じゃああるが、いっちょう、もうひと頑張りしてみるか!
一応、東の幹部連中にも打診し、西の幹事会でも打診してみた。
どうやら協力いただける風向きになってきた。

さくらパレ-ドの実行委員会の会議に東、西、北
それぞれの保存会から2名ずつ出席し、
さくらパレ-ドに喧嘩神輿3基のそろい踏みを宣言した。

揚下から提供して貰うた昔の北の神輿
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東の次は北じゃ⑤

皆賀のSさんから聞いてTさんのところにも話をしに行った。
Tさんとはワシが20代前半の頃に親交があったんで話しやすかった。
Tさんが会計職を引き受けてくれ、北の組織図が見えてきた。

皆賀勢のSさんTさんから法被作りのための寄付集めの報告が耳に入った。
「はぁ皆賀地区はガンガン寄付が集まっとるらしいで!」
揚上地区のワシの同級生のI氏にハッパをかけた。
このI氏が素晴らしい集金術を発揮し始めた。

「最初は入りにくかったし、寄付して頂けるか不安じゃったが、
主旨に賛同いただき、気持ちように一口出してくれちゃってから、
次も快く出してくれちゃったら、面白うなってのぉ・・・」
自分の縄張り以上に一人で次々周り、かなりの賛同を集めた。
中には5口も頂けた開業医さんも・・・。

揚下地区からは一向にその報告が入って来んので
「皆賀、揚上は相当周っとってみたいで!
北の法被は皆賀と揚上の事業者の名前だけになってしまうで」
揚下の自称祭りのリ-ダ-のIさんに言うたら
「ワシは忙しいんでKさんに頼んどるんよ」

Kさんとは顔は知っとったけど、あんまし親交はなかった。
Kさんの事務所を訪ね皆賀、揚上の目覚ましい活躍を伝えると
Kさんも少しは企業や商店に声をかけてくれとっちゃった。

揚上のI氏の活躍ぶりにストップをかけにゃあいけん程になった。
それまで非協力的な言動が目立ったOさんからクレ-ムが出たらしい。
「ワシが集めて回ろうと思うとった店にもI氏が回っとる」
北の代表Iさんがお叱りを受けたらしい。
Oさんも口ではそう言いながらも協力してくれようとしてくれとってじゃ。

『北の神輿を担ごう会』の会議の席で
法被の背中に大きく入る『北』の文字は
東小学校区の町内会連合会長のKさんに書いて貰おうと決まり、
押せ押せム-ドは更に高まった。

出来上がったばかりの北の法被
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皆賀地区には強い味方が・・・

皆賀のSさんと知り合えたのは五日市の喧嘩神輿復活に大きな前進となった。
『北の神輿を上げよう会』 にとって神輿は修復して貰う事になったが、
担ぎ手の法被を作る費用をどう捻出するかが大きな壁になった。

皆賀、揚上、揚下とそれぞれ俵もみの法被は持っとってじゃが
それを統一した『北』としての法被がない。
これはどうあっても北地区の事業所の寄付を繋ぐしかない。

「いやぁ、丸本さん、そうは言うても寄付を集めよう思うたら大変で」
「俵もみの花集めでさえワシらの法被姿を見たら家に入ってしまう奥さんもおって位じゃけぇ」
「いや、個人の家をまわるんじゃのうて事業所をまわりましょう
この地区の伝統ある神輿が復活するんじゃけぇ、是非協力して欲しいと。
その代わり法被の襟には事業所名を染め抜いて貰うんですよ」
寄付というより、広告宣伝費として費用をご負担願いたいという事じゃ。

言い出しっぺのワシが人任せにしとく訳にゃあいかん。
僅かばかりじゃが知り合いを訪ね協力をお願いしてまわった。

これと前後して、東小学校区の町内会連合会長のKさんが
「自分のところから30口出します」 と言われ活気づいた。
この時、連合町内会が負担してくれてんじゃとばかり思うたが、
後に分かったことじゃが、Kさん個人の負担じゃった。感謝!

ここでライブの案内を

12月26日(土)19時半会場、20時スタ-トで
五日市コイン通りいとうビル2Fの 『ワンナイト』 でライブやります。
フリ-ドリンク付き¥2000でステ-ジは20時から30分と
20時半から30分の2ステ-ジです(入れ替えなし)。
ステ-ジ終了後は+¥1000でラストまでとなっております。

前売りチケット好評発売中なり(笑)
今回も売り切れご免でござる。

昨日、ホテルグランヴィアでの積水ハウスオ-ナ-ズ忘年会での
演奏が終わり、本日から『ワンナイト』のライブに向けての練習です。
えっと練習する日にちがない!

昨夜の演奏風景
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東の次は北じゃ④

2度目にOさんの自宅を訪ねた時、奥様から怪訝そうに見られた。
『もうウチの父ちゃんを連れ出さんといてよ、病気があるんじゃけぇ』
暗にそう言うとってのように感じた。

しぶしぶOさんを呼びに家の中に入られた奥様に代わって
勝手口から出て来られたOさんは、ワシを笑顔で迎えてくれんさった。
「俵もみのお世話を引き継いでやってくれとって人を紹介して下さいよ」
「口で言うても難しいけぇ、ワシが案内したげるよ」
一緒にワシの軽トラックに乗って案内して貰うたんが
何度もここに登場する皆賀のSさんじゃった。

Sさんに会うまでは北は東以上に神輿に辿り着くのに難航しそうな
そんな状況が見えてきて、ちょっと弱気になっとるところじゃった。
じゃが、この日を境に運気は急上昇! 
一気に手ごたえを感じられる予感がした。

Sさんとはこの時初めて会うたんじゃが、Sさんの祭り好きはすぐ分かった。
ワシの言う事に理解は示してくれちゃったが、
「そうは言うても俵の担ぎ手に神輿を担がせるのは難しいよ」
そんな話をSさん宅の駐車場でOさんと3人で話しよったら
奥様が出て来られて

「祭りじゃ神輿じゃの話が聞こえたけぇ出てきた」 と奥様、
Sさんが続けて言いんさった
「こんなぁ、ワシより祭りが好きなんじゃけぇ」
奥様曰く
「神輿が直るんなら担がにゃあ意味ないよね? 飾っといても」

こりゃあSさんとこは奥様にも協力して頂けそうじゃん。
ワシは嬉しゅうなって、
「北地区の神輿の責任者と近いうちにまた来ますけぇ」
と言うて、ルンルン気分でOさんを乗せて帰った。

北の神輿を担ごう会の様子
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東の次は北じゃ③

東のAさんから『皆賀のOさんが訪ねて来ちゃった』とメ-ルが入った。
電話してみると祭りの話をしとんさったとの事。
Oさんゆ-たらワシらが子供の頃の喧嘩神輿に出とっちゃった人じゃ。

早速Oさんの自宅を訪ねた。
Aさんところへ来られたOさんと、ワシの覚えとるOさんは別人じゃった。
じゃが、兄弟じゃとの事で、すぐ近くに自宅があるとの事で訪ねた。
奥様が出られて 「たった今、仕事に出かけた」 と言われ、
たった今なら、これから職場に訪ねても挨拶程度は出来るかも?
と思い、職場を聞き追いかけた。

ワシの方が職場に着いたのは早かった(?)
すぐ見覚えのあるOさんが車で到着、車から降りて来られた。

「Oさんですよね? ワシ西の秋祭り保存会の丸本と言いますが・・・」
ちょっとだけ始業まで時間があるけぇと、話をさせて貰うた。

「はぁワシは年じゃけぇ俵の面倒は若い人に引き継いで貰うたんよ」
「いやいや、ワシはいつ倒れてもおかしゅうない病気も持っとるけぇ役に立たん」
この日は否定的な答えしか貰えなんだが、祭りが大好きなんは伝わって来た。

東の次は北じゃ②

神輿の修復には多大な費用がかかる。
それには寄付を集めたり、助成金の申請を模索せにゃあいけんと
大きな課題の一つと考えとった事を喧嘩神輿修復委員会』さんたちが
大変なご苦労があったと思うがやってくれてんじゃ。
そうなると、担ぎ手の組織作りだけの問題でいけるじゃん。

『北の神輿を担ごう会』の会合には東から2名、西から2名
そして本家本元の北からも2名出て貰うて、数回の会合を既に持っていた。
その会合に『喧嘩神輿修復委員会』のお偉いさんにも出て貰うて
後援をお願いせにゃならんし、事を運ぶにも指示系統がはっきりしてええ。

中央小学校区のTさん、五日市小学校区のHさん
東小学校区のKさん、今まで話をするような事のないお偉いさんじゃ。
勇気を出して訪問してお願いした。
何度か会合などでもお会いする内に
それぞれ立派な方々の様子がちいとずつ分かってきた。

北地区には喧嘩神輿1基に対して、俵もみの組織が3つある。
それぞれ俵もみの時間が違うし、その時間が違う事を理由に
喧嘩神輿の復活に難色を示される人が多かった。
これは最後までネックになったね。

北の神輿の修復

前年から北の神輿は町内会連合会が中心となって修復する。
そう伝え聞いとるのに、春になってもいっこうに直す気配がない。
この頃、ワシは神社の輿蔵から神輿が消えとるのを楽しみに
折に触れ神社を訪ねとったのよ。

各地区の連合会長さんを訪ね、
「いつ修理に出すんですか?」 と訊いても回った。
ゴ-ルデンウィ-クまでには広仏が取りに来るらしい。
そう聞いて、連休前には連日の如く通うたのに
輿蔵にはめげたまんまの北の神輿が座っとるのよ。

とうとう連休がやってきたのに、まだ取りに来てない。
連休はワシもお出掛けとかで忙しく輿蔵参りも休憩。

連休が終わって、期待せずに輿蔵を覗いてみたら
ナント! 北の神輿が無い!
あんだけせっせと通うたのに、蔵出しの日に遭遇出来なんだ。

「やった-!」 北の神輿を直すっちゅうのはホンマじゃったんじゃ。

博多山笠見学

五日市の秋祭りに喧嘩神輿復活と神社の賑わいを求め
同じ五日市に住む住人同士、もっと交流したい。
仲間を増やしたいと保存会の活動は活発じゃった。

話は前後する。

2003年、西地区の神輿は復活したものの
なかなかその活動が、熱意が浸透せんので
よその祭りはどうなんじゃろ? 
と、博多の夏祭り 『博多山笠』 を見に行ってみようと
T現会長、毒多K、と3人で見に行った。

あいにくその年の『追い山』は日曜日じゃなかったんで
日曜日にある『集団山見せ』を見学しようと出かけた。

博多では毎年7月に入ったら『山笠』一色になり
7月15日の『追い山』をフィナ-レに2週間祭り一色になる。
街のあちこちで締め込み姿の男たちを見かけるようになる。

それまで駐車場じゃったスペ-スに大きなテントが張られ
それぞれの『流』の陣屋として祭りが終わるまで設置されとる。

『集団山見せ』はメインイベントの『追い山』さながらに、
各流れの山が大通りを走り抜ける。
たぶん時間帯によって通行止めにしとるんじゃろうね。
見物人も本番さながらの人出じゃけぇ。

「凄いのぉ!・・」
帰りに博多の駅前の居酒屋で感心しきりの3人じゃった。

2003年の集団山見せの様子
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忘年会のはしご

秋祭り保存会の忘年会が昨夜 『楽空』 であった。
当分、広島サンプラザでの開催じゃったが、今回は祭りの応援をしてくれる
『楽空』 でやる事ができた。楽空の場所が広うなったけぇじゃ。

サンプラザみたいにカラオケは無いが、近いのがええ。
ただワシにとって座敷に胡座をかいて座るのはダメじゃね。
ここ最近、花見の時に胡座をかいて座ると太ももに痙攣がくる。
1時間が限度じゃね、花見は寒いけぇじゃと思うたが、
今回は暑いくらいじゃったのになったっちゅう事は胡座がいけんのじゃと思う。

なんと今回は女性軍が多かったねぇ、若い人も来てくれて有り難いかぎりじゃ。
しかも美人揃いじゃけぇ、彼女らが若い男性を呼び込むきっかけになりゃあ有り難い。

ワシは昨夜、他にも断れん集まりがあったけぇ
そっちは二次会から参加する事にしとった。
そのおかげでJRの新型車両に乗れた、揺れが少ないというが
酔うとったけぇか、それはえっと感じんかった。

帰りのタクシ-の中から幹事長や東の清水さんら3人が歩いて帰るのを見た。
いつものように二次会は『居酒屋集会所』じゃったんじゃろうの?

忘年会

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東の次は北じゃ①

五日市の喧嘩神輿は3基ある。
東、西、北の3基じゃ。
西が31年ぶりに復活、東が42年ぶりに復活、
残るは北だけじゃ。

北は西が復活した翌年から揚下のKさんに働きかけた。
毎年のように話をしに行ったが、ええ返事は貰えなんだ。
10年通い続けたが、どうもその気はないらしい。
ほいならKさんに言うてもしょうがない、他の方法を考えるしかない。

もうKさんに言うのはやめて、東の神輿が復活した翌年から
西から2名、復活した東からも負担かと思うたが2名、
北から2名出て貰うて『北の神輿を担ごう会』を起ち上げた。
どこから手を付けてええか分からんまま、会合を持った。

その前年に北の神輿を復活出来るかどうか分からんが
そっちにエネルギ-が必要なんで、西の活動は制限する。
そうT会長に申し出たし、東のSさん、毒多Kにもその決心を伝えた。
T会長は、その時は了解してくれたものの、実際に西の会合に顔を出さんようになったら
ワシが離れて行ったように感じたんじゃろうね、冷たい風が吹きだした。

じゃがワシには味方してくれる毒多K、Sさん、東の若頭Aさん、
そして北のIさんがいてくれたんで、専念出来た。
じゃが、Mごりょんさんには弱音を吐いた事もあったような気もする。

北は東以上に難しい面があった。
それは西も東も俵は同じ1つの団体で担ぐのに
北には皆賀、揚上、揚下の3つの俵の組織があった。

先ず、連合会長のHさんには『北の神輿を担ごう会』の発足は告げた。
ワシも北地区で知っとる人は少なかった。
揚上で俵を担ぎ、木遣り音頭も始めたというIはワシの同級生なんで
すぐ声を掛け、『北の神輿を担ごう会』のメンバ-に入れた。

昔、青年団で喧嘩神輿を担いだ事のある人・・・なかなかおってんないんよ。
揚下のUさんはワシより1つ年上で、喧嘩神輿に出とっちゃったのを覚えとったんで
いきなり訪ね、主旨を説明したが、
「町内会長の指示がないと動きにくい」 とおっしゃる。

じゃが、その頃連合会長のHさん、神社総代のMさんらが某市議へ働きかけ
『喧嘩神輿の修復』 を目的の組織を作っちゃったんじゃと思う(ワシの想像)。
その事をある筋から耳にしたワシは神社総代のMさんに
「その会合に出席させては貰えませんか?」 と尋ねたら
Mさんは 「そんな事、知らんで」 と、とぼけてんよ。
ワシの手元にはその会合の案内状があるというのに・・・。

ホンマに北の神輿を修復してくれるんじゃろうか?
それがホンマなら、そこまでやるつもりでおったワシには朗報じゃった。

商工会の忘年会とか、他の席で某市議や名士と呼ばれるような人と同席した際に
「北の神輿を修復するという話を聞いたんですが、ホンマですか?」 と確認した。
どうやらホンマに修復していただけるみたいじゃ。

東の神輿復活④

下の記事に『秘書Mさん』と書いたが、秘書という位置づけじゃなかった。
秘書みたいな存在じゃったと言うた方が正しい。


さくらパレ-ドでお披露目した年の秋、ついに東の神輿が復活した。
実に42年ぶり、2010年、平成22年の秋じゃった。
西の神輿が復活してから11年後の事じゃ。

この年は、ワシは東の若頭Aさんと度々コンタクトを取り
TさんともSさんとも顔を会わせる事が多かった。

午前中に俵を担いでから神輿を午後担ぐ。
当然、担ぎ手の人ら大変じゃ。
西の神輿が復活した時も同様の反発はあったが、強行。

『ほりゃあ大変よ、西もそう言いよったんじゃが出来たんじゃけぇ』
どれだけ俵の担ぎ手が残ってくれるじゃろうか?
心配はあったがAさん始め東の幹部連中の努力が実り
ついに東の神輿が上がった時は、ワシも嬉しかったね
この年はワシは西の神輿じゃのうて、東の神輿を担いだような気がする(笑)。

この年は広報活動にも力を入れた。
『東の神輿復活』 という事でプレスリリ-ズを作り
各メディアに送付、広島テレビがIさんの力もあり、応じてくれた。

HTVの担当者からしょっちゅうワシに連絡があり、
西はT会長、東は会長のYさんの連絡先を伝え、そっちへ取材するよう伝えた。
東はホンマはその経緯を一番知っとってAさんに取材して貰うた方が
えかったんじゃが、当時の会長であったYさんを外す訳にはいかんかった。

放映された映像を見ると、T会長やワシの想いはHTVの担当者に
正確に伝わってなかったようじゃ。
この時、テレビや新聞などのメディアへの応対は
よっぽど緻密にコンタクトをとり、正確にこちらの真意を伝えんと
意図した事が伝わらんのじゃと理解した。

東の神輿修理完了、奉納
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秘書Mさんの支え

もうごりょんさんの地元に帰って4年が過ぎるMさん、
仕事もそうじゃがプライベ-トでもずっとワシを支えてくれた。
感謝してもしきれん程、一生感謝し続けるじゃろう、ごりょんさんじゃね。

ワシが五日市の喧嘩神輿復活に熱うなっとるのを知ってから
影になり日向になり保存会でのワシの立場を支え続けてくれたMさん。
Mさんがおらんかったら、ワシもここまで祭りに徹する事が出来たかどうか?
ワシの性格からして絶対やり通したとは思うが、もっと時間が掛かったと思う。

何しろ、ワシが 『そこまでしてくれんでもええ』 と言うてもやってくれる。
『そんな事までやったらワシが気を遣うけぇ止めぇ』
そう言うても、それをやる事によってワシの保存会での立場が良うなる、
そう思うたらやってくれる人じゃった。
それで何度ワシに叱られた事か・・・それでもやってくれる。

ワシが名目上、事務局をやっとる時の仕事は、殆どMさんの仕事じゃけぇ。
ワシは目を通すだけ、そんな状況が何年も続いた。

祭りの前の準備、とりわけ 『竹取物語』 の時のみんなの大変さは理解してくれて
大きな、しかもしっかり握ったおにぎりをようけ作って差し入れてくれた。
得意のゆで玉子もいっぱい作って持ってきてくれた。
祭り当日も俵の出陣式から来てくれ、割ったかわらけの掃除をしてくれたり
張り付いて写真撮影やビデオ撮影してくれたり、正にごりょんさんじゃった。

喧嘩神輿完全復活の陰にMさんの大きな支えがあったと、今でも感謝しとります。

Sさんとの付き合い

この頃からSさんとの付き合いが深うなった。
Sさんは中学生の頃から、よう知っとる先輩じゃ。
向こうは肩で風切る強面じゃが
ワシらワ-クブック小脇に抱えた可愛らしい1年生じゃ。

その頃の接点は無かったが、秋祭りでは顔を合わせた。
向こうは青年団の東支部長じゃが、こっちは下っ端。
ワシの事なんか顔も知っとってんなかろうと思うたが
そうもなかったみたいで、覚えてくれとりんさった。
意地の悪そうな連中の中で、ひときわ上品なワシが目についたんかも?(笑)

Sさんから直接携帯に電話がかかってくるようになった。
『酔うたら、どうもこうもならんようになるけぇ、一緒に酒は飲まん方がええかも?』
誰から聞いたんか忘れたが、そんな先入観を植え付けられとったのよ。

それが何年前の12月じゃったか忘れたが
仕事仲間か遊び仲間かの忘年会をやっとる時にSさんから電話がかかった。
「おう丸! ちょっと来いや、メシ食わしたるけぇ」
「食わせて貰わんでも、今、ワシらも忘年会じゃけぇ」
「おぉ、ほうか、ほいならまたにするか」
すんなり電話は終わり、ワシら忘年会を楽しんだ。

忘年会が終わって、帰る途中、もう遅かったが
あれでもSさんは『宙』におるかもしれんと思い寄ってみた。
案の定、Sさんおるじゃん、しかも毒多Kも一緒じゃん。
毒多Kはクリニックの忘年会で看護婦さん2名と寄ったらしい。
その後でSさんがここに来たみたいで、偶然3人が集まったのよ。

Sさんはかなり酔うちゃあおったが、
「丸、お前が頑張ってくれるけぇ嬉しいんよ、わしゃあ!」 などと
酒癖悪く、絡むんじゃのうて、ワシを持ち上げてくれんさる。
毒多Kとは小学校の時の同級生らしく、仲がええみたいじゃ。

みんな酔うとるんじゃけぇ何を話したかえっと覚えとらんが
祭り談義に花が咲いたのは間違いない。
これがきっかけで、この3人で不定期じゃああるが
一緒に食事に行く事が増えた。

真面目に連合会の会議に参加のSさんたち
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