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贈り物

家に残る富乃宝山があと一杯注いだら空っぽになる予定じゃったが、
一足早い誕生日のプレゼントにと1本頂いたと思うたら、
更にお歳暮にと 『富乃宝山』 1本持って来ていただき、
正月用の焼酎を買いに行かんでもようなった(笑)。

有難いねぇ! 本当に好きなものをいただけるのは。
もう忘年会も終わり、いつものように1杯だけ焼酎をいただく普段の生活に戻った。
I usuary drink a glass of TOMINOHOUZAN.

ワシもお中元やお歳暮には自分が食べて美味しいと感じたものを贈るようにしとる。
法人や個人でも、この人はビ-ルが好きじゃと分かる人にはビ-ル、
アルコ-ルが苦手な人には、ワシが食べて美味しいと感じたロ-カルな食材。
ロ-カルで小規模な事業所の商品じゃが、自分もいつも口にしとる物。
ワシの好みを押し付けとるかもしれんが、たいがい喜びの感想をいただく。

『贈っていただいてからずっとわが家もファンになって、普段も買い求めています』
とかの言葉を聞くと、ワシも仲間が増えたような気がして、嬉しい。
ロ-カルで小規模な事業者じゃが、懸命にええ商品を作っとる所は応援したいよね?

今年も五日市の秋祭りに参加できたことに感謝すると同時に
祭りを通して多くの人と巡り会えたことに感謝する。
来年も秋祭りに参加できるように体調管理もしとかんといけんし、
更に多くの人と巡り会えるように笑顔でおらにゃあいけん。

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今年最後の忘年会

終わった、終わった! 3連荘が終わった。
最後は疲れも見せずに広島駅近くのカラオケで深夜まで。
総勢9名の音楽仲間が集い、遠くは川尻から駆けつけてくれた。

広島駅も変わったが、駅周辺も様変わりじゃね?
地下を通ったら方向音痴になるけぇ、寒いが寒風吹きさらしの地表を歩いて到着。
店構えの割に料理の内容は高級和食のコ-ス料理で美味しかった。

1年を振り返って、反省点を協議しながらも笑顔が飛び交う。
昨年は7名じゃったが、今年は新顔が2名増えた。
今年の5月の連休の時にやった湯来でのBBQライブの主催者は
2~3年前から、ずっとオファ-をくれ、やっと今年実現したが、
ワシが『来年も』という主催者のオファ-を断ったもんじゃけぇ
メンバ-それぞれに裏でお願いしとるみたいで、それをどうするか議論再燃。

今はあちこちでおやじバンドが結成され、複数のバンドかけもちの輩もおる。
こないだのライブに来てくれた人が、今は他のバンドで歌っているが
ワシらのバンドで歌わせて欲しいと、その場で直接言うてきた人もおったが、
他のメンバ-を通じて、再度のお願いがあったらしい。本気かも?

ワシら決して上手なバンドじゃない事は自覚しとるが、楽しかったんじゃそうな。
ま、仲間が増えることはええことです。歓迎します。
秋祭り保存会、連合会にもどんどん若い人が集まってくれとる気がする。
来年はもっと賑やかな祭りにしたいよね?

祭り談義

『祭りが終わったら飲もうで』
秋祭りの大祭当日、軽トラで移動するSさんから声をかけられた。
軽トラの助手席にはドクタ-Kも笑顔で乗っとんさった。

時々この3人で 『お花のお礼参り』 じゃないが、お花をいただいた店で
食事をしながら祭り談義をするのが楽しみじゃった。
ここ最近、その回数が減っとったんで 「是非に」 と返事をしとった飲み会が
暮れも押し迫った昨夜、やっと実現した。

ドクタ-に 「先生の都合のええ日を連絡して」 と言うとったが、いつまで待っても連絡がない。
毎月1回行く診察の時に 「先生、連絡くれんじゃん」 と催促したら
「忙しいんじゃけぇ」 の返事。ま、ワシも多忙じゃったんでえかったんじゃが、
いつまで待っても返事がないけぇ、また次の診察の時に
「先生、はぁ今年も残り少ないよ。ワシも空いとる日は25と28しかないよ」 と再度催促して
やっと、ゆんべに決まったのよ。

最初はビ-ルで乾杯、次からキ-プしとる芋焼酎に切り替えた。
ワシも飲む時、おしゃべりする声が大きいらしいんじゃが、Sさんは更に大きい。
隣席の人らは会話できんのんじゃないかと思うほどじゃが、
熱く祭り談義をする3人はますますヒ-トアップ(笑)。
おまけにSさんの口の悪さと巻き舌のしゃべりに隣席や店のスタッフは
喧嘩でもしとるんじゃなかろうかと、チラチラと心配気な視線を送ってくる(苦笑)。

すみませんねぇ、その時、店におっちゃったお客さん。
あれでワシら楽しく祭り談義をしとったんです。
新しく入れた芋焼酎も空っぽになっとった。まぁよう飲むてぇSさんは(笑)。
ワシも3連チャンになるけぇ自重するつもりじゃったのに、僅かの酒で酔うてしもうたよ。

帰宅したら町内会は違うが、近所で以前は祭りにも協力していただいた
Kさんの奥さんからの欠礼ハガキが届いておった。
19日に亡くなられたとの事、また一人ワシの理解者が亡くなった。 合掌

家族葬の是非

ワシが高校生の頃に隣家に嫁いできたMさんが18日に亡くなったとの訃報を昨日聞いた。
今は町内会が違うんで全然知らんかったが、ご主人には21日に医者の待合室で出会い
「奥さんの具合はどうですか?体調が悪いと聞いとるんですが・・・」 と話しかけた時、
「あまり良くはないが、家に居る」 と確か聞いたハズじゃ。
その時にはすでに亡くなっとったんじゃと、今、思う。

家族葬で葬儀は済まされたらしいが、ワシとしてはMさんが嫁に来た頃から
親しく声を掛けてくれ、女房ともども仲良うしていただいた間じゃったんで、
見舞いもせず、葬儀にも行けんかった事は非常に残念じゃった。

最近は家族葬が多いよね? 
その家、その家の事情もあるけぇ、それはそれでしょうがないが、
すぐ近くに住んどっても、親しくしとった人が亡くなったことにも気づかん
時代はそこまで変わっとるんじゃろうか?

今夕、ご主人に電話して、霊前に別れを告げに行かせて貰うた。
秋祭り当日にも賄いで毎年お手伝いいただいた人じゃった。
ご冥福を祈る。 合掌

燃料の変移

ワシらがまだ小さい頃には、どの家にもクドがあり、米はそこで炊いた。
燃料は当然じゃが、薪であり、どの家の裏の軒先には薪が山のように積んであった。
おかずはわが家では七輪で煮炊きしとったと記憶しとる。七輪の燃料は炭じゃった。
七輪はわが家には1個しかなかったんで、今のようにコンロやIHみたいに
焚口が2つも3つも無いんで、おかずを何品も作ろうと思うたら大変じゃったろうね?

その後、七輪の燃料は炭から練炭や豆炭・オガライトに変わった気がする。
小学校のスト-ブの燃料は石炭じゃった。
石炭は一般家庭ではあんまり使うとらんかったが、汽車の燃料や発電所の燃料として
大きな需要があり、日本でも九州や北海道にはようけ炭鉱があった。

今の日本には炭鉱は無いと思うとったが、釧路に1つ残っとるらしい。
子供の頃に炭鉱の落盤事故がしょっちゅう発生し、新聞の大きな記事になっとったのを思い出す。

その内、家庭での燃料は炊事場ではプロパンガスが主流となり、家からクドが消えた。
スト-ブは石油スト-ブが家庭では主流になったが、その前は火鉢で燃料は炭じゃけぇ。
昔は今よりもっともっと寒かったのに、石油スト-ブの前は火鉢と掘りごたつしかなかった。
よう、あの寒さをそんな暖房器具でしのいだもんじゃて。
ま、当然のようにしもやけやあかぎれの人も多かった。ワシはよう、しもやけになった。
あの頃、北海道なんかどうやって冬を凌いだんじゃろうね?

現在はコンロはガスか電気。 風呂はガス、電気、石油、太陽熱。 
暖房は電気、石油、ガスが主流。

日本を代表する三菱商事や三井物産がオ-ストラリアに持つ、
石炭の権利を手放すらしい。地球温暖化の原因であるCO2をガスの2倍も発生させるから。
街では焚き火も出来んようになったし、火を使うことを制限される時代になった。

陛下のお言葉

昨日は平成最後の天皇誕生日の祝日じゃった。
前日、陛下のお言葉が報道され、そのお姿に心打たれた国民は多かったんじゃないかね?
皇族としてお生まれになり、そのご成長と共にご自分のなすべき事を自覚され、
あと残された数ヶ月も、天皇として邁進されようとなさるお気持ちを感じた。

また皇后陛下に対される感謝のお気持ちも、述べられたことは
国民に 『支えてくれる人への感謝を忘れないように』 という教えにも感じた。

誰しも多かれ少なかれ、人の支えの上に生きておる。
『誰の助けも借りん!』 と息巻く人でさえ、どこかで他人に支えられとる。
その支えに対し、感謝の気持ちを持つことが出来る人でありたい。

クリスマスパ-ティ-

市内に向かう広電電車の中は暑いくらいで、上着を脱ぐほどじゃった。
仕事帰りの人たちと言うより、忘年会、クリスマスパ-ティ-、食事会に向かう感じの人が多かった。
ワシもその一人で、職人に任せた現場を気にしながら
『早よう着かんかいの』 と度々知らせるスマホの振動に苛立ちを覚えた。

『原爆ド-ム前』 で電車を降りて、すぐスマホを確認したら
まだ到着予定の時間になってない現場の職人さんからの電話の他に、
別の現場の担当者からの連絡や、プライベ-トな連絡も入っていた。

会場に着くまでに全て解決し、会場へ入ったら、
まだ開始時間に早かったのに数名の仲間がすでに座っとるじゃん。
パブみたいな所じゃのに子供連れのファミリ-と思える外国人グル-プが多い。

オ-ナ-もスタッフもすべて外国人のその店は、客も外国人が多く
今シ-ズンまでカ-プに在籍しとったエルドレッド選手も来とった店じゃ。
いつもワシが行く時は満員じゃが、ゆんべも多かったねぇ。

4種類の生ビ-ルを自分で勝手にカウンタ-の中に入ってレバ-を押して注ぐ。
『わびさびビ-ル』 と名付けられたこの店のオリジナルのビ-ルが人気じゃった。
ワイワイと楽しい3時間はあっという間に過ぎ、タクシ-に分乗して流川へ。
ここもいつも2次会で利用する外国人客の多い店で、コインと引き換えにドリンクを貰う。
若い人たちとすぐ仲良うなった。 酒はバリアを溶かしてくれるようじゃ。

伝統文化

ライブの時に、木遣部の人の近くに座った女性とライブ後初めて話をする機会があった。
「どうしたら、どこへ行ったら木遣りが聴けるの?」
毎月1回、西の集会所で練習しとってじゃと伝えたが、
「自分で詠いたい訳じゃなく、ただ聴いてみたいんだけなんじゃけど」 との事。

この人は島根県出身で東京生活が長かったらしいけど、各地に伝わる
伝統文化に興味があるらしく、この地で生涯を終えそうなんで、この地の文化を知りたいらしい。
その土地、その土地に伝わる労働歌である木遣りには、その土地の産業を反映しとるんかもしれん。

秋祭りで詠う木遣り・音頭には地元の風景を詠む歌もあるが、物語りが多い気がする。
この地(五日市)に伝わる労働歌みたいなモンはなかったように思う。
この地を詠うとるゆ-たら 『宮島八景』 かのぉ? 
五日市の芸人、新田さんの書いた歌もあったよのぉ?

紹介できたらええんじゃけどね。

木遣・音頭

前回も書いたが、祭りの木遣・音頭に興味を持つ人は意外に多い。
聴くだけで日本を感じる事が出来、それでええという人と、
自分もやってみたいという人がおってじゃ。

自分でやってみたいと言う人には『木遣部』の存在を伝え、
「毎月1回練習しよってじゃけぇ覗いてみたら?」と伝えるが、
「いやいや 興味はあるが、とても自分には無理」 とハナから諦める人と
「やってみたいが、敷居が高い、一人ではよう行かん」 と言う人がおってじゃ。

そ-ゆ-人にはワシが同伴したげりゃあええんじゃが、
ええたいせわしい時に、そんな人と出会うんよ。

若い人でも祭りの時に木遣・音頭をやってみたいという人はおってじゃと思う。
まさか木遣部というのがあって、そこで毎月練習しとるたぁ思わんのじゃろうね?
子供の頃から親や爺さんに教え込まれた、特別な人が詠うんじゃと思うとる人もおっちゃった。

そ-ゆ-ワシも子供の頃から耳に馴染んだ木遣・音頭じゃが、まさか自分が詠うとは思いもせんかった。
この保存会(当時は同好会)を起ち上げた時に、木遣音頭が詠える人が町内に殆ど残ってない、
そう知った時に木遣・音頭を詠える人を育てにゃあいけんと感じ、木遣り教室の必要性を感じ、
当時、木遣り・音頭の句集を編纂しておられた初代会長のDさんと前木遣部長のSさんにお願いし
木遣り教室を開いたが、聴講生が少のうては講師に申し訳ないとワシも聴講生の一人として
後ろの方の席に、賑やかしとして座った。

詠う気はサラサラなく、皆さんの習い事のオブザ-バ-的なつもりで座っとったら
Sさんが 「次、丸さん」 と指名されビックリして
「ワシには詠えません。見学のつもりで来ただけなんで・・・」 と断ったが、
「うんにゃ、あんた詠うて下され」 と大先輩から言われたら
今まで1ぺんも詠うた事もないのに、見よう見まねで仕方のう詠うた。

当然、字余り、字足らずになりチンチクリンの音頭で、恥ずかしい限りじゃったが、
毎回、木遣り教室に、言いだしっぺの責任感で出席し、同様に発声を強要される内に
『あれっ? ワシでもなんとか詠えるかもしれん』 と思うようになった。

秋祭りの時に、俵の傍で秋晴れの空に向かって大声で詠うのは気持ちがええよ!
興味がある人は是非、木遣部の門を叩いて下され。
毎月第4火曜日の19時頃から、五日市集会所で練習しとられます。
敷居が高い人はワシに連絡下さい。ご案内しますけぇ。

あとはひたすら忘年会をこなすだけ

土曜日に今年最後のライブが終了、木遣部から3名来ていただけた。
毎回必ず親子で来てくれるH君も、毎回盛り上げてくれる。
今回、席の組み合わせで木遣部の隣に座ったお客さんが木遣りに興味があったようで
『是非、聴きたい』 とメ-ルが入った。

今回も『満員御礼』の札が出るほどの客入りに感謝。
終わる頃にはライブが終わってからの客も後ろで立ち見しとる状態で帰りは混雑した。

終わった、終わった! 燃え尽き症候群でインフルや風邪を引かんようにせにゃあいけん。
まだまだ仕事は、せにゃあいけん事がえっと残っとるんで気は張っとるけど、
アフタ-ファイブはただ忘年会をこなすだけじゃ。
残った4つの忘年会はすべてワシが幹事じゃが、1つを除いてすべて手配済み。

今回のライブに来てくれ、何年か振りに見たあるバンドのリ-ダ-。
そのバンドのメンバ-も連れて聴きにきてくれとったらしい。
そこの女性ボ-カリストがずっとワシのすぐ前で踊っとったが、(その時は知らんかった)
帰りのエレベ-タ-前で「このバンドで歌わせてほしい」とラブコ-ル。

今回、急遽応援に駆けつけてくれたTさんも含め、新たに音楽仲間が増えた。
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山盛り

倉庫の整理をしたら、出るわ出るわ要らんもんがいっぱい。
もう使わん大きな工具、小さな工具、余った建材、資材。
ぜ~んぶあげようと思い軽トラに積み込んだが、積みきれんのよ。

それらを積んで美土里町で田舎暮らしをする知り合いを訪ねた。
今年、奥さんが生死をさまようほどの急病で大手術をされ、懸命にリハビリを重ねられ、
ほぼ、元気な時と変わらんほどまで回復された、そのエネルギ-をちいと分けて貰いに。

木材系の材料は使えんかったら、薪代わりに燃料にして貰おうと。
古いフロ-リングや化粧合板のカットサンプルまで積んで行った。

本気でじっくり奥さんのリハビリ振りを聞いたら涙が出るけぇ、軽く流して聴いた。
そりゃあ本人はもちろん、それを支えるご主人も大変な苦労があったと思うし、
生涯続けにゃあいけんリハビリも並みの苦労じゃなかったと思うが、
笑顔で話して下さるその話の裏側が垣間見え、ワシもヘルニアの症状を抑えるため
死ぬまで続けにゃあいけんじゃろう腹筋、背筋の運動のお手本にせねばと
そのエネルギ-をちょっとだけ頂きに行ったのよ。

貰うたエネルギ-は独り占めしませんよ。
必要とする人に分けてあげるのよ。実際、ワシからエネルギ-を貰うために
ワシに会いたいと公言して来る人もおってじゃ。

僅かな時間ではあったが、この夫婦から山盛りのエネルギ-を貰うて帰りました。

肘痛にもめげず

肘が太鼓を叩きよった時のように痛むが、ライブのための自主練に余念がない。
肘が弱いんか? それとも肘の使い方が悪いんか?
当日、どうにもならんぐらい痛かったら痛み止めを注射して貰うしかないかも?

今回はいつも親子で来てくれるH君以外にも保存会から3名来てくれると連絡が入った。
前回、来て貰うた木遣部の2名に加え、今回は木遣部OBのOさんからも連絡が入った。
今回もすでに70名以上の動員を確認しとるんで、ほぼ満杯と思う。
感謝、感謝じゃねぇ。 ほいじゃけぇ自主練にも力が入るのよ。

今回、数曲ほどゲストに呼んだ商工会のTさんに弾いてもらう。
先週、初めて顔合わせをしただけじゃが上手いもんじゃ、パッと弾ける。

来ていただいたお客さんには楽しんで貰わんにゃあいけん。
楽しんで帰って貰んわにゃあ失礼じゃと心得る。
毎回、来てくれるお客さんもおってじゃけぇ、いつも同じ曲ばっかりやったんじゃ
飽きられてもいけんので、毎回新曲を何曲か入れるようにしとる。

今回は2か月前まで、聴いたこともなかった曲が何曲かある。
曲を覚えるだけでも大変なんじゃが、その曲をやろうと言い出したんはワシじゃ。
アメリカに住むウェブ友がF・Bで 『懐かしい曲』 としてシェアしとったんで
何気なく聴いてみたら、「ええじゃん! この曲」 と思い、提案。

しかしやってみると結構難しい曲じゃった。
もう、何回ユ-チュ-ブで聴いたか分からんが、まだ完全に覚えられんのよ。
家でも事務所でもちょっと時間があったら聴いて覚えるようにしとる。

何でもそうじゃが、『諦めない』
みんな最初から出来た訳じゃない、みんな努力しとるのよ。
努力し続ける、難しいことじゃけど、やり遂げたら代え難い達成感がある。
常に目標を持って努力を続ける、これは課せられた課題と思い、生ある限り続けたい。

ちょっとええこと書き過ぎたのぉ。
ただライブで恥をかかんように練習しとるだけなんじゃが(苦笑)。

忘年会

今夜は西地区秋祭り保存会の忘年会じゃった。
若い人がようけ来てくれて楽しかった、有難いね。
じゃが時間設定が悪かったかも。

5時半とスタ-トはワシら高齢者向けの時間帯で、そんなに早く来れん人のために
本スタ-トは7時と2段階に分けて設定しとるもんじゃけぇ
せっせと支度して1次スタ-トに間に合うように行った者や酒を飲まん人は料理がお預けじゃけ。
枝豆と乾き物しか肴になるもんがないけぇ、しょうがなしにそれを食いながら待った。

2次スタ-トに合わせて7時からやっと料理が食えたんじゃが、
それまでに1次スタ-トの者は酒が回り、そこから食べ始めても、えっと食われんのよ。
バイキング形式じゃけぇ、1次スタ-トの者が、それぞれの料理を汚したら
2次スタ-トに来た者はイヤな思いをする。

その配慮は評価するが、それなら別の皿にとっておくとか
開始時間を7時に統一した方がえかったんじゃないかと思うたよ。

途中、腹は減るし、『早よう出さんと料理が余るようになる』と訴えるが、その訴えは却下。
ま、それから始まった宴会は楽しく、みんなといろんな話が出来てエカッタんじゃが
終わる頃になって、料理や寿司を各テ-ブルに配り始めた。
言うた通り、これでは料理が余ると思うたんじゃろうが、時すでに遅し
『過ぎたるは及ばざるが如し』 美味しそうな料理も、もう入らんのよ。

支度をしてくれた人たちは朝から買い出しに遠くまで行ってくれ、準備も大変じゃったと思う、感謝。
そして片付けも大変で、やっぱし女性陣には負担をかける事になるよのぉ。
ワシは花を頂いたところへお礼参りに行こうと思い、1次会で帰ったが
ええがに料理がさばけとりゃあええが・・・。
忘年会は若い人らがえっと来てくれたお陰で楽しませていただいた。

大きな変化、明治と昭和

明治維新で日本が大きく変わったのは日本人なら皆んな知っとるし、
昭和、とりわけ戦後の日本も大きな変化があった。
ワシらその戦後の変化のさなかに生まれ育ったんで、その過程を目の当たりにしとる。

維新の時にも西洋文化が一気に日本へ入ってきたようじゃが
戦後もまた一気に西洋文化が日本へ入ってきたように思う。
戦後、その時期に電化製品が次々と開発され、世界も大きく変わった時期なんじゃろうね?

セメントの流し台からタイルの流し台に変わり、ステンレスの流し台に変わった。
五右衛門風呂からタイルの浴槽に変わり、ポリバス、ステンレス、ホ-ロ-浴槽を経てアクリル浴槽へ。
つるべ式井戸から寺田式ポンプの井戸、上水、浄水器と飲み水も変わった。
うちわから扇風機に変わり、今やエアコンが当たり前の時代。
たらいに洗濯板から1槽式洗濯機、2槽式洗濯機、全自動洗濯機、ドラム式洗濯機、
紙芝居から映画そしてテレビ、そしてインタ-ネットへと娯楽や情報源も変わった。

秋祭りはどう変わったんじゃろうか?
明治維新の時、五日市の秋祭りに変化があったんじゃろうか?
戦後の秋祭りに変化があったんじゃろうか?

昭和43年の秋祭りを最後に青年団は解散、喧嘩神輿も終わった。
それまでの五日市の秋祭りは、神事は当然今と変わらず神社が取り仕切っとったんじゃろうが
俵みこしや喧嘩神輿は青年団が仕切っとったんじゃろうじゃない。

今、われわれが担いどる神輿は弘化3年に造られたものじゃが、
それ以前にも当然、俵みこしや喧嘩神輿はあったんじゃろうけぇ
いつが起源なんか分かったら面白いね?

肘痛

公民館祭りも終わり、太鼓部のみなさんお疲れ様でした。
写真で見ると見覚えのない人が写っとるが、新人が入ったんじゃろうか?
それなら喜ばしいことで、是非、若い人につないで貰いたい。

ワシが太鼓部を休んだのは肘痛が原因じゃった。
W整形外科に肘痛で診察を受けた時の問診で、
『何か肘に負担のある動きをしてますか?』 と訊かれ、他には何もやっとらんので
「強いて言えば、和太鼓くらいですかね?」 と答えたら
『とりあえず、しばらく和太鼓を休んでみて下さい』 と言われたけぇじゃ。

たしかに暫く休んどったら痛みは無くなり、肘痛すら最近は忘れとったんじゃが、
ここ最近、同じような肘痛が、以前は左肘じゃったが、今度は右肘に出だした。

これは明らかにギタ-が原因じゃと思う。
ギタ-の練習をすると痛むけぇじゃ。
上手になりたいけぇ一生懸命に練習するんじゃが、もう年じゃけぇ程々にせにゃあいけんのんかも?

じゃが15日のライブが終わるまでは痛み止めの注射を打ってでも頑張らにゃあいけん。
チケットを買うて来てくれるお客さんがおってくれる限りは、ええかげんな事は出来ん。
まだまだ練習が足らん、時間が足らん、お客さんに喜んで貰うには。

肘痛、これワシの持病になるかもしれん。

太鼓部今年最後(?)の演奏

今日、明日は五日市公民館まつりみたいじゃね?
たぶん今年もわが西地区秋祭り保存会の太鼓部、笛班の連中は
オ-プニングで演奏するんじゃと思う。

ワシが所属しとった頃は、これが1年で最後の演奏じゃった。
秋祭り以降、あちこちのオファ-に応え、休日を返上して演奏に出掛ける部員。
地域のコミュニケ-ションに貢献しとるよねぇ? お疲れ様です。

ワシは仕事でこれから青崎まで行かにゃあならんが、
時間のある人は応援に行ってあげつかぁさい。


1年の総仕上げ、頑張ってつかぁさい。
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Author:秋祭り保存会
五日市西地区秋祭り保存会のブログです。

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