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東地区秋祭り保存会のみなさん

西地区秋祭り保存会の花見は、予定通り海老山の夜桜を舞台に開催された。

ワシは17時まで練習で、外に出て初めて雨が降ったことを知った。
自転車がびしょ濡れじゃったが、ハンカチでサドルを拭いて帰った。
着替えてから女房殿と一緒に海老山に向かう途中、
『この雨の中、準備してくれた先発隊はどうしたんじゃろ? 集会所へ戻ったかも?』
とか話をしながら歩いた。

会場に敷かれたブル-シ-トはびしょ濡れで、先発隊はフ-ドを被ったりしながら雨をしのぎ、
大変じゃったみたいじゃ。 よいよ意地の悪い天気じゃてぇ!
宴に加わり、KさんTっちゃん、Mさんらと談笑し、楽しく過ごさせて貰うた。
お開きとなり片付けを始めたら、東の保存会の幹部連中が数名やって来られた。

殴り込みか! と思うたら、皆さん満面の笑みでワシらの片付けを手伝うてくれんさる。
いつもこうやって海老山の花見の後片付けを手伝うとってらしい。
何年か前まで地元の町内会とも祭りのあり方で半目し合い、
その関係の修復には時間もかかろうし、互いの理解が必要と感じとったが、
見事! 保存会の方からこうやって地元町内会が仕切っておられた
海老山の花見の準備、飾り付けに協力されただけじゃなく、花見の後片付けまでされるとは。

ワシは来たばかりで、えっと酒も飲んじゃあおらだったが、恥ずかしがり屋のワシが
酔ったフリして東地区秋祭り保存会の有志のみなさまにハグしたのは
その心意気に感謝の気持ちを込め、その活動を称えたかったからなんですよ。
ホンマ! 酔うちゃおらだったんですよ!(笑)
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花見

昨日、一昨日と日中は温かったんで桜が咲いてくれたらええんじゃけどね。
薬師が丘の1本だけ早よう咲いた桜以外の桜も、今日はだいぶ咲いてきとったよ。
明日の朝、ちょいと様子を見に行って来ようと思うが、たぶん土曜日の夜は咲いとるじゃろう。

観音神社の枝垂れ桜が満開じゃと耳にした。
神原の枝垂れ桜はどうなんじゃろ? 日曜日に通った時はまだ蕾じゃったが・・・。

今日、事務局から 『花見の出欠の連絡を!』 と連絡が入っとった。
ワシどうじゃったかいの? 連絡しとると思うが、明朝連絡しとこうて。
週末はまた寒うなるとか言うとったけぇ、ようけ着込んで行かにゃあいけんで。
カイロも必要かもしれん。ワシは折り畳みイスを持って行かんと、胡座が組めん。

日本の桜を見に世界中から人が観光に来るらしい。
海老山にも外国人の人を毎年見かけるが、この人らは観光客じゃない。
日本で仕事をしとる人とかじゃけど、日本の桜を楽しんどってよね?

観光客が日本へ来てくれるのは有難いが、マナ-の悪い国からの客は御免じゃね。
どこの国とは言わんが、桜の枝を折ったり、ゴミを残して帰ったり
立ちションベンするような奴は、美しい日本を汚すような奴は来るな!

まだ何もマナ-が分かってない観光客でも好日的な人なら一から教えてあげる気にもなるが、
何で反日的な国から来るんかいの? ワシらそがぁな国に行きたいとも思わんで。
反日的な国に金を落とそうとは思わん。仕事ならしょうがないがね。

今ほど反日感情がむき出しでない頃は、ワシもご近所じゃけぇ行ったけどね。
そりゃあ景勝地はいっぱいあって行ってみたい気持ちはあるけど
反日感情の強い今は行く気もない、もう行けんかも?

花見から話がだいぶそれてしまいました。

次はさくらパレ-ド

清盛まつりでは担ぎ手不足で東地区の有志の方々に助けられ、感謝です。
今度はさくらパレ-ドで俵を北・東・西の連合で担ぐ。
連合会としての活動が少しずつ軌道に乗ってきた感じがするね。

五日市の祭りじゃけぇ、一緒になってやるのがまたええのよ。
昔も秋祭りが近づいたら喧嘩神輿じゃけぇそれぞれの地区が睨み合いしとったが、
秋祭り以外では青年団活動を一緒にしとったんじゃけぇ交流はあった。

今の連合会も昔の喧嘩神輿の復活までは出来たんじゃけぇ、更にこの勢いで
秋祭りに昔の賑わいを取り戻したい。
そして祭りを通じてせっかく同じ五日市に住んどる者同士なんじゃけぇ、仲間として
同郷の住民として、人とふれあいたい、交流を持ちたいとの気持ちは昔から変わらん。

さくらパレ-ドでは同じ俵を担ぎ、一緒に準備し、一緒に片付けもして、一緒に打ち上げしたい。
今年のさくらパレ-ドに出す俵は西の俵を出すことになったが、
準備も片付けも一緒にやった方がワシはええと思うが、どうなっとるんじゃろ?

清盛まつり

清盛まつりに今年初めて参加した。
西地区秋祭り保存会としては3回目の参加じゃった。

西地区の有志で前日俵を宮島に運び込み、組立て準備された。
参加するのはええが、この前後の準備や片付けが、またひと仕事じゃ。
桜の開花宣言が前日にあったとは言え、冷たい海風が吹く宮島での法被姿は寒かった。

ワシは木遣部員じゃあないが、緊急時の予備部隊として音頭をお願いされとった。
じゃが木遣部長の計らいで出発前には「音頭だけお願いします」 と歌う場を用意して頂いた。
前年、大勢の観光客の前で張り切って大声で歌うもんじゃけぇ、途中から声が出んようになる
音頭取りが多かったと聞いとった。

今年もKさんが一部声が出ん時があったが、皆さん昨年の経験から抑え気味に歌われたんか
外国人観光客などが注目する中、澱みなく歌声が表参道に響いておった。
たまたま今日居合わせた観光客には、ええ日本の文化を見ることが出来たと思う。
ワシも外国人観光客のカメラが注目する中、気持ちよく歌わせていただいた。

これだけ大衆の耳目が集まる、外国人が大勢の前で歌うたのは
サンフランシスコのホテルのロビ-レストランで歌うて以来で気持ちえかった。
コンサ-トやライブで歌うのも大勢の前で歌うには違いないが
観衆が予想しとらんところで大声で歌うのは、一種のサプライズ的な観衆の表情が見えて
どこか愉快な気持ちになれる。そして聴き入ってくれるのはエンタ-テナ-的な満足が得られる。

寒かったし、日に当たったし、担いだし、疲れた。
夜は女房殿と二人で近所の居酒屋で打ち上げをした。

さらに二人

今日は春分の日、朝起きてすぐに国旗を掲げた。
あいにくの雨じゃったんで雨にかからんように揚げた。

今日も仕事があったんじゃが、昨日のうちに職人さんが商品を取りに来てくれ、
今日は職人さんだけで現場に行って貰うことが出来た。
以前にもその現場に他の仕事で行って貰うたことのある職人さんじゃったし、
お客様にも事情を話し、快諾を得ておったんで任せることにした。

今日は息子の嫁が経営しとるピアノ教室の発表会の日じゃった。
会場の区民文化センタ-まで運ぶものがあるんじゃないか? 人も運ばにゃあいけんのじゃないか?
ましてや雨が降り続いとる状態じゃし、手伝えることがあるかもしれん。

今日が発表会というのは事前に女房殿から聞いとったんじゃろうが、日々の仕事が優先し
そんな事も忘れとったんじゃが、昨日、その事を女房殿から聞き、また雨じゃというのも聞き、
何とかお手伝い出来る状態にしとかんといけんと思うて仕事の段取りをしたんじゃが、
結局、役に立ったのは女房殿のアッシ-君としてだけじゃった。

そんなこんなでバタバタと区民文化センタ-に着いた頃、東のAさんからラインが入った。
あと二人清盛祭りで俵を担げる人がおるとの連絡じゃった。
急いでO幹事長も仕事じゃったらしいが、連絡をとって、了解を得、Aさんに連絡した。
有難いことじゃ、さらに二人の担ぎ手が増えた。

発表会が無事に昼過ぎに終わり、そのまま外でメシを食って、給油したら
光禅寺に墓参りに行き、千代田まで水汲みに行き、その足で湯来まで走り
女房殿の実家の墓参も済ませ、帰りに買い物にも付き合い帰ってきた。
なんと内容の濃い一日じゃったが、ピアノの演奏をゆっくり聴く時間もあった一日じゃった。

さっそくに

昨日、ここへ清盛まつりの担ぎ手が足らんと書いたら、
それを読んでくれんさった東のAさんからさっそくにラインが入った。
東の保存会会長のMさんが応援に駆けつけてくれてとか?
有難いねぇ! これも祭り連合会というコミュニティ-を通じて日頃から
交流があるけぇ気軽に声を掛けてくれてんじゃろうね?

さくらパレ-ドの話し合いもあるようで、これにもM会長が出てくれてんじゃとか。
ホンマは神輿が出せりゃあええんじゃが、俵も趣があってええかも?
こっちは北地区も東地区も西地区も、ようけ担ぎ手に出て貰うて
威勢よくコイン通りを練り歩きたいと思うとります。

先日、夕飯時に神楽好きなおっちゃんが、わが家を訪ねて来んさって、
今年の神楽祭りにはどこの神楽団を呼ぶんか? と尋ねんさった。
「今までお世話になっとる神楽団にお願いする予定なんよ」 と言うたら
『K神楽団は呼んでんないんか? O神楽団は呼ばんのか?』
と、ひいきな神楽団があるようじゃった。

しかし皆さんよう知っとんさるねぇ?

また雨が・・・

天気予報は雨が降るじゃの一言も言うとりゃあせんかったが、
深夜の今、何か物音がすると思うて窓を開けたら、雨が降りよるじゃんか!
この時期、天気が変わりやすいんかもしれん。
夜中に雨が降ることが多い。

せっかく洗車したと思うたら雨が降ったり、
ええ天気じゃけぇと雨具も無しにお出かけすると雨に降られたり、
明日のためにトラックに荷物を積んでおいたら雨になったりと泣かされる。

一雨ごとに温うなるんじゃろうね?
桜の木も蕾なんじゃろうが、ちいと色づくと木全体がピンクがかって見える。
海老山の花見支度も東の町内会の皆さんや保存会の皆さんの手で完成したと
東の保存会のAさんから写真入りでラインが入った。
おかげでワシら住民は毎年海老山の花見を楽しませて貰えとります、感謝。

24日の清盛祭りに今年も西地区保存会は俵を出すんじゃけど、
担ぎ手が少ないらしい。
ワシは今年、初めてこの清盛祭りに参加するつもりでおるが、
見物人は多いても、担ぎ手が少ないんじゃあいけんじゃない、
皆さ~ん! 俵を宮島で担いでみませんか? 担ぎに来て!

うたた寝

土曜日も日曜日もスケジュ-ルはいっぱいじゃが、そんな中で時間を作るのよ。
今朝も8時過ぎにゃあ出発せにゃあいけんのに、まだ小雨が降りよる。
車が汚れとるのを新聞を取りに出た時分かったんで、朝メシ食ったらすぐ洗車した。

洗車が終わる頃には女房殿はお出かけじゃ。
ワシは女房殿の代わりに女房殿の叔母の1周忌の法要に集積するため
洗車が終わったらすぐに着替え、出発した。

湯来まで走るんじゃが、チンタラチンタラ走る車が川角まで行く手を遮った。
川角からスピ-ドアップ出来ると思うたら、砂谷牧場辺りからワシの車の前に入ってきた軽自動車、
これがまた、チンタラ、チンタラ走るのよ。
大橋のところでこの軽自動車は下水内方面へ曲がってくれたんで
そこからマイペ-スで走り、なんとか法事に間に合うた。

もう、ここの女住職、そしてその父親の前住職とも顔なじみになった。
義父の1周忌の時には、まだ時間があったんで住職とも話ができたが
今回は、そんな時間は無い。すぐとんぼ返りで五日市へ帰って来た。
町内会の総会に出席するためじゃ。

総会も無事終え、爽快に出席した祭り保存会のメンバ-と、ちいと話でもしようかと思うたが
1階へ降りたら誰もおりんさらん、『ありゃ? さっき三代目はワシより先に下に降りたのに』
総会では酒も出んし、早々に帰りんさったかと、後を追いかけるように集会所を出たが、
工大へ続く道に出ても姿は見えんかった。

仕方なく帰宅しても誰も居らんけぇ、暖房をつけ、テレビをつけてソファ-に座ったが
知らん間にうたた寝しとったんじゃね? 風邪を引くでぇ!
女房殿が帰ってきた声で目が覚めたが、土日の忙しさで疲れとったんかもしれん。

忙しいと思うた日曜日も、うたた寝できる時間はありました。

海老塩浜

五日市の西地区一帯は昔、海老塩浜(かいろうしおはま)と言う地名じゃったようじゃ。
ウチの実家の住所は、ワシがご幼少の頃の住所は佐伯郡五日市町海老塩浜218-1じゃった。
今日、楽々園のお客さんと話をしよったら、楽々園も昔は海老塩浜の住居表示じゃったらしい。

実際に楽々園3丁目のそのお宅は庭を1mも掘れば砂が出てくるらしい。
「昔はこの辺りも塩田じゃったんでしょうね?」 とそのお宅の奥様は言われとった。
ゆ-事は、ウチの実家の辺りも昔は塩田じゃったんかもしれんね?

ワシらが子供の頃、楽々園の海水浴場の砂浜の東側は 『塩田』 と呼ばれる砂浜じゃった。
もう塩田としての役目を終えた、ただの砂浜じゃったが、そう呼んどった。
ほいじゃけぇ昔の五日市は塩田で栄えた町じゃったんかもしれんね?

今のわが家がある場所も40年以上前じゃったか井戸をボ-リングして貰うたら
業者から 『もう45m掘ったけど、まだ微かに塩気のある水じゃけど、これ以上掘るのは勘弁してくれ』
そう泣きつかれたことがある。 金さえ出しゃあ掘ってくれたんじゃろうが、
掘る前に値段を決めとったけぇ、そう言うてきたんじゃろうね?

ウチの辺りを埋め立てしたのはいつ頃なんじゃろう?
戸籍を辿れば、ワシのひいひい爺さんの時に井口から五日市へ来たみたいじゃ。
その爺さんはもちろん江戸時代の生まれじゃけぇ
江戸の終わり頃に、新たに埋め立てられた新開地へ
ワシの祖先は夢を抱いてこの地へ入植したんじゃろうか?

中土手、沖土手と呼んだ地名は今、地図には残っとらんがワシらはそう呼んどった。
その中土手、沖土手は、遠い遠い昔は防波堤じゃったんじゃないか?
これはワシの個人的な想像なんじゃけどね。

昔はダンプカ-も無い時代にどうやって山の土を海まで運んだんじゃろう?
今のわれわれには想像つかんけど、人力しかないよね?
人間が馬など遣うて少しずつ埋め立てたんじゃろうか?
エジプトのピラミッドよりは、まし?

テレビ派

先日、広テレが松村呉服店に取材に来て、五日市の喧嘩神輿について
いろいろ訊かれた番組が12日と13日に放送されるらしい。
17時半頃に放送されるらしいんで、見て下さいよ。

今回は東地区の保存会が中心になっての番組らしいけど
北の会長さんも出演してらしい。
みなさん優しい顔にメイクして出演しました? 
ほうでないと、モザイクが入りますよ(笑)。

ワシは仕事で見れんけぇビデオに録画しとかんといけん。
どんな内容なんか楽しみなり~!

3月度幹事会

ゆんべは3月度の幹事会が開催された。
24日の宮島清盛まつりやその準備、花見、などの議題を諮った。
恒例の幹事会前の防犯パトロ-ルは若手新人のH君と新宮苑コ-スを周った。
彼とは初めていろいろと話をする事が出来た。
いつもはお義父さんとの会話が主で、彼とは挨拶程度の会話しかしとらんかったんで
いろいろ新鮮な情報にワシは聞き役じゃった。

彼にはつい先日初めての子供が生まれたらしく、また自宅も新築中という事で
今年はダブルでおめでたい年になるという事じゃった。
今年の秋祭りには子供を抱いて、奥さんと秋祭りに参加してうれると嬉しいねぇ。

祭り衣装

今のワシら秋祭り保存会の祭り当日の衣装は、白半纏に下は黒の木股、
そして白足袋(白の地下足袋)とほぼ統一されとる。
帯も決まった帯でハチマキは西地区は昔ながらのピンク地じゃ。

白半纏の下はワシはサラシを巻くが、最近は祭りシャツを下に着る者も多い。
サラシを巻くのは大変じゃし、下手な巻き方すると途中で緩んでしまう。
今はみなさんお金持ちじゃけぇ衣装にもいささか金がかかっとる。
幹事連中はすべて自前でマイ法被を持っておる。

遠い昔はどうじゃったんか知らんが、ワシらが青年団に所属しとる頃の祭り衣装は
青法被に下は白のトレパンじゃった。
白足袋ではなく、それぞれ自前のズックを履いとったように記憶する。
青法被の下はシャツか裸で、担ぎ手は青法被じゃったが、幹部は白法被じゃった。
当時の帯は黒帯でハチマキは西はピンク、東は豆絞り、北は青じゃった。

法被の襟には寄付を頂いた商店や会社の名前が入っとった。
今でも北地区の半纏にはそれぞれ寄付をいただいた事業所の名前が入っとる。

今の時代は見た目が悪いといけんけぇ、出来るだけ揃うた法被にしたいんで
どの地区の保存会も貸出用の半纏を用意しとります。
西地区は担ぎ手が多いと白半纏が足らんので、昔、発足当時に用意した
青法被があるんで、それを着ていただいとる。
中学生諸君には、それを着ていただくことが多い。

仲間

ほいじゃが、ワシは祭りを通じていろんな人に出会うことが出来、
懇意に話をする事も許され、メチャクチャ祭りに感謝しとるよ。
やらにゃあいけん事、気が進まん事、苦手な事もえっとあったが、
『喧嘩神輿復活のため』の大義名分が力となり、出来た事が多い。

その過程で敬遠しとった人とも会い、会うて話をすれば敬遠しとった過去が悔やまれた事も多々ある。
そうやって多くの人と出会い、多くの人と語り、自分の想いも、相手の想いもしっかり聞き、
手を結べるところは手を結び、妥協できんところはもあったが
人間、お互いを認め合うと信頼関係が生まれ、手を結べるところで絆を作りゃあええ。

年齢も男女の壁も超えて親しくして頂いとる人がようけおってじゃ。
大先輩じゃのに、太平楽にモノを言わせて貰うて感謝しとります。
ほいじゃけぇ、みんなにも祭りに参加して欲しいし、祭りで仲間を増やして欲しい。

世界の祭り

世界中に有名な祭りはごまんとある。
その中でもみんなが知っとるリオデジャネイロのカ-ニバルは今が最高潮らしい。
毎年、リオのカ-ニバルについて書くような気がするが、
2月じゃとばっかり思うとったが3月なんじゃね?

日本とは季節がま反対じゃけぇ、夏の終わりじゃと思う。
決して裕福とはいえんブラジルで、人々はこの日のために日々の暮らしから
ちいとずつ貯金した金をこの祭りに投入する。
その気持ちと言うか、心と言うか、国民性と言うか、日本人には考えられんてぇね?

それが豪快に映り、祭り好きな者には堪らんところがあるが、
いざ、それが出来るかと言われたら、無理じゃろうね? 日本人じゃね?

このリオのカ-ニバルをこの目で、肌で、生に感じたい。
何とか積立してでも行ってみたいけど、なにせ遠い。
アメリカまで飛んで、乗り換えて、また同じくらい飛行機に乗らにゃあいけん。
高齢者にとってせやぁなかろうか? ずっとエコノミ-クラスじゃ、しんどかろう?

当然、この時期はホテルもなかなか取れんじゃろうし、航空券も需要は多いじゃろう。
個人で行きたいがポルトガル語圏じゃもんね、ツア-が楽なんじゃろうが、
せっかくここまで行くんなら他に見たいところもあるけぇ回ってみたいよのぉ。

死ぬまでに1っぺんリオのカ-ニバルを見てみたい、高齢者のひとりごと。

青年団2

小学生の頃見た喧嘩神輿はあこがれで、中学生になったら絶対に青年団に入ると誓った。
ウチではワシが青年団に入るのに何の問題もなかったし、親からの反対なんか無かった。
小学生の時に一緒に子ども会の俵を担いだモンはみんな中学になったら青年団に入るもんじゃと信じとった。
じゃのに、実際に中学に入って青年団の門を叩いたのはワシとT君だけじゃった。

青年団に入ったら、憧れの喧嘩神輿を担げると思うとったが、触らせても貰えなんだ。
祭りが近付くと、学校が終わったら集会所へ行き、ひたすら半紙を小刀で切り、紙垂作りよ。
それが終わったら、夜な夜な注連縄を張って西地区をナンマンの方まで歩いた。

一晩だけでも指先が痛うなるのに、毎晩やるんじゃけぇマメが出来、それが潰れるんで痛いのなんの。
それまで真面目に紙垂を付けとったが、指が痛いけぇ、材料は持って出るんじゃが
縄を張ったら、ちょいと休憩。よその家の塀の上に上がって休憩するのよ。
そうしたらちょうど目の前に柿がなっとるんじゃけぇ、これは神様が
『これでも食べて休みんさい』 と言うてくれとるものと思うじゃんか。

人差し指と親指にマメが出来たら、それ以外の指で作業せにゃあいけんけぇ仕事が伸びんのよ。
じゃが、そ-ゆ-環境になりゃあなったで人間、その場を凌ぐためにいろいろ考えるのよ。

憧れの青年団に入ったんじゃが、中学生の間は神輿に触らせて貰えなんだと記憶しとる。
やっぱり、ある程度体が大きゅうならんと担がせて貰えんかったんじゃろうて。

アルバム

昔の写真はアルバムに貼ってあるが画質が劣化しそうなんで何枚かアルバムから剥がし
複合機でスキャンしてパソコンに取り込む作業をした。

秋祭りの写真は殆ど残ってない。
先祭りに呼んだ従兄弟と法被着て撮った写真はあるが人物だけで祭りの景色が映ってない。
祭りには関係ないが、今のわが家の南側の菜の花畑で撮ったと思われる写真には
遠くに鈴が峰の山が、その手前には小学校の裏山と思われる山が映っとる。

こ-ゆ-背景に当時の町並みなどが映った写真はええねえ!
当時の生活を垣間見るようで、ああじゃった、こうじゃったと頭の中で当時の町並みを再現してみる。
ワシがご幼少の頃の光禅寺保育園の運動会の写真には、五小のグランドで走っとる姿の後ろに
新宮苑がまだ山じゃった頃の姿が映っとる。

五小を基点にすると、昔は五小の裏山は殿山に繋がり、海老山に繋がっとったと思える。
五小の裏山は神社の裏山に繋がり、八幡川が今のところを通る前は皆賀の山に繋がり
現在のミスズガ-デンの裏山に繋がり、美鈴園、鈴が峰と繋がっとったんじゃろうの?
と容易に想像出来る。

そうすると昔の海岸線は海老山から光禅寺、そして瀬戸の川から現在の八幡神社、
イズミ八幡店の辺りからずっと三和中学の辺りまでじゃったんじゃろうと想像は膨らむ。
三和中学の前辺りが八幡川の河口で、寺田、八幡川酒造辺り、地毛、倉重、佐方に続き
桂公園の桜尾城に繋がっとったんかもしれんね?

瀬戸の川からにしか山にかけてはどうなっとったんじゃろうか?
陸続きじゃったんか? にしか山が島じゃったんか?
小さな山はどんどん削られてなくなってしまうんで分からんよのぉ?
弥生時代、縄文時代ゆ-たら原始時代のような感じで思うとったが、
ついこないだの事で、数えられる程度の先祖を遡れば辿り着けるんじゃない?

タイムマシンでそんな旅に出てみたいよのぉ?
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