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祭り衆1密

夕方、マスクして帽子被ってウォ-キングしとったら前から疲れた様子で歩いて来る紳士が・・・
最近、目が悪いけぇよう見えなんだが、近づいて見ると、わが保存会のYさんじゃんか。
Yさんもウォ-キングをしての帰りじゃそうで、いささかバテ気味でござった。
お互いこの時期、家での夕飯みたいで、筍料理の献立を教え合い別れた。

しばらく駅方面へ向かうてサンコ-ビルの前を通りがかったら店内にAさんの姿が見えた。
手を振って挨拶し、そのまま通り過ぎようとしたらば前からクマさんが・・・
いや西地区保存会会長Hちゃんが行く手をはばみ、話を始めたらAさんも出て来られた。
Aさんは 『今、ウチのM会長と店で一杯やりよったところです、丸本さんもどうぞ』 と
ビ-ルを買いに自動販売機の前に行こうとしんさるんで、慌てて止め

『いえいえ、拙者、先を急いでござる。ここで一杯やると腰を下ろしてしまいまする』
『いやいや、せっかく会長もおられる事じゃし、是非!』 
そんなやりとりをしとる内にM会長も店の中から出て来んさった。

しばらく東・西の会長とAさんワシと4人で路上にて大声で祭り談義ならぬコロナ談義を。
ま、3密にはならん1密(1mも離れてなかった)じゃったんで許して貰おう。
わがH会長は 『出張帰り』 じゃとか言うとんさったが、ホンマに出張かいの?
出張と称してどこかへしけ込んどったんじゃないんですか?

真面目なワシはウォ-キングを続けねばならぬ。
皆さん 『散歩ですか?』 と言いなさるが、
『ウォ-キングと言うてくだされ』 そう言い残し、東へ東へと歩を進めたのである。
コロナ禍で祭り仲間ともしばらく会えぬ中、天が与えて下さった祭り衆5人の集いじゃった。
チャンチャン!
昨年の連合会新年会、今は無理
連合会 新年会 2019-2連合会 新年会 2019-3

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太鼓部その後

太鼓部はその後部員も増え、オリジナル曲を毎年の出陣式の時に演奏するようになった。
その内そのオリジナル曲に音頭を取り入れ、他所にない祭り保存会ならではの曲となった。
その頃、太鼓部の中に笛班も出来、これも最初は素人集団じゃったが
笛班のリ-ダ-信部さんが芸能保存会の桂さんに習い、自主練の努力を重ね、
それはそれは素晴らしい笛の名手に成長した。

信部さんは忙しい中、大森神楽団へも出向き、そこでも笛を披露。
わが保存会の太鼓部笛班になくてはならぬ存在になった。

この頃から、いろいろと声を掛けていただき、慰問演奏や式典のオ-プニングで演奏したりと
秋から冬にかけての週末は、どこかのステ-ジに立つほどの売れっ子じゃ。
最近、ちいと部員が減っとるようじゃけど、若い人、是非、練習を覗きに来て下さい。
部員には女性もおるし、新しい女性部員も歓迎しとりますよ。

太鼓部は大祭だけでなく毎年いろんなイベントに参加してます
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太鼓部発足

西地区秋祭り同好会が結成されたんが平成6年(1994年)で、
翌7年に木遣り教室(現木遣り部)が始まった。
それから6年経った平成13年(2001年)に太鼓部が発足した。

その頃、佐渡の鼓童を先駆けとした和太鼓ブ-ムが全国的に始まろうとしていた。
その2年前に31年振りに西地区の喧嘩神輿を復活させた勢いも2年経つと
珍しさも消え、西に続いて東地区、北地区の神輿の復活の気配すらなく
担ぎ手集めに苦労しとったワシは当時の東窪幹事長に訴えた。

「何か若い人の気を引くような魅力がないと、動員力は落ちるばかりです」
それを聞いた東窪幹事長が出張先の能登で見た御陣乗太鼓が印象的じゃったようで
それをヒントに「太鼓部を作って出陣式で演奏を披露しよう」と言い出した。
「それはエエ! 祭りに和太鼓は付きもんじゃ! それやりましょう!」

とは言うたが太鼓は? 太鼓の指導は? 誰が叩くん?
太鼓は幸いに平稲邸の倉庫に古い太鼓が眠っていた。
太鼓部のメンバ-は? 
古い太鼓を保管しとった平稲家からお父さんと哲っちゃん、
言い出しっぺの東窪幹事長、そしてワシと濱田現会長の5人じゃった。

御陣乗太鼓をヒント   子供会の出発式で
2001太鼓部発足子供会の出発式和太鼓

木遣り部立ち上げ

音頭取りがおらんのんじゃったら、今、歌える人がおっての内に
その人に先生になって貰い、音頭取りを育てたらエエ。
1つ壁を乗り越えたと思うたら、次の壁が現れる。
じゃが、前向きな気持ちがあったけぇ、また仲間がおったけぇ、みんなで乗り越えた。

早速、木遣り句集を編纂しとられた初代本会会長の堂河内さんと
一緒に句集を編纂しとっちゃった島村さんに相談して
島村さんが指導者としての木遣り教室を開くことにした。

教室を開くとなると生徒がおらにゃあいけん。
翌年は担ぎ手に加え、木遣り教室の生徒集めもせにゃあいけだった。
ほいじゃが、なかなか木遣り・音頭を習おうと言う人はそうおらんのよ。

最初のメンバ-をハッキリ覚えとらんが、島村さん、堂河内さん、平稲のお父さん、
東窪さん、新宅さん、ほいで言い出しっぺのワシは習う気持ちはサラサラなかったが
初回だけは顔を出しとかんとマズいと思い席に着いた。
他に高瀬さん、森さんもおっちゃったような気がするが、定かでない。

島村さん、堂河内さんが編纂中の句集がテキストとなった。
最初に島村さんがお手本として歌い、今の練習と同じように
座った順番で一節ずつ歌うことになった。

ワシの順番になったが、ワシは習うつもりもないし、歌うた経験もないけぇ
まったく歌うつもりはなかったんで知らん顔しとったら
「丸さんの番じゃ! 早よ歌わにゃ!」と島村先生がせかすのよ。

「いやいやワシは今日が初日じゃけぇ来とるだけで、歌えん」
「ええけぇ歌うてみんさいや」
場を白けさせちゃあいけんけぇ、まったく経験がないのに句をたどった。
字余りになるところもありゃあ、字足らずのところもあり
とても聞けたもんじゃなかったが、これがワシの木遣り部デビュ-となった。
  2002年大祭打ち上げ    2004年子供会木遣り練習  2006年木遣り部練習
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大人の俵みこし復活Ⅱ

1年目の俵みこしは何とか無事に神社へ御蔵米を奉納し終えた。
26年ぶりの大人の俵みこしを色んな人が色んな想いで見ていたようじゃ。
ワシは担ぎ手の指導やつけ声もリ-ダ-シップを取って、より大きな声で発する事に腐心したんで
周りの目を気にする余裕もないし、全然気付かんかった。

その日には無事に終了した喜びを打ち上げの時にみんなで分かち合うたが、
その席でワシは音頭取りの人から相談を受けていた。
『丸本さん、ワシは来年は、ようせんで。ずっと歩くんはやねこい』
2019年に回ったコ-スに比べたら、かなり短いコ-スじゃったのにもかかわらずじゃ。

打ち上げの楽しく解放された宴席で、そんな相談を受けワシの心には暗雲が漂うた。
何でも最初の立ち上げが大変で、もの凄いエネルギ-を必要とするが
2年目からは何とか回るもんじゃと思うとったのに、不安が走った。

じゃが、そんな不安を払拭してくれる町の声が、後から聞こえてきて2年目の背中を押してくれた。
昔の五日市の秋祭りを知る先輩たちからの賞賛の声じゃ。
中には後の東地区の初代会長のYさんが涙を流して見てくれとっちゃったと言う噂も耳に入ってきた。

こうした声はワシら発起人にとって何よりも力強い応援になった。
『ようし! 来年はもっと大勢、人を集めて担いだる』 と気持ちを奮い立たせ、
『昔の音頭取りの人がダメなら、新しい音頭取りを育てよう!』 と次年度への課題が出来た。

2004年神輿組立て後の本陣   紙垂の製作作業
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何もかも変える

青森のねぶた祭りも中止が決まったとニュ-スで知ったところに
丸本ネット情報局福岡支店から博多山笠も中止になったと連絡が入った。
伝統ある地方の祭りも次々と中止に追い込むコロナは今年の世界を変えるで。

2月のリオのカ-ニバルこそ、その時点では南米には何の影響もなかったが、
じわじわと感染を拡げ、力をつけとる時期じゃったんじゃろうね?

今や世界中のイベントを中止に追い込むほど恐るべし力をつけてきた。
世界中が束になっても適わんほど力をつけたこのウィルス、何者?
地球軍を組織してもことごとく敗戦する未知の脅威じゃ。

五日市の秋祭りはまだまだ先じゃが、夏の訪れを知らせる博多山笠が中止になった。
毎年、梅雨明けを感じさせる追山の朝の寺の蝉の声、今年は広島で聞くことになる。

2004年神楽祭りポスタ-作り  大幟のパイプ埋設作業
8年前の飾りつけの準備作業大幟埋め込み

26年ぶりに大人の俵みこし復活

飾り付けは三代目の得意分野で、ワシら作り方も知らんが習うて作った。
26年ぶりの俵みこしとなると、担ぎ手もそれを統率するカチも素人みたいなもんじゃ。
音頭取りの声が高らかに秋晴れの空に響き渡った。
と書きたいところじゃが、用品さんも加島さんも高齢になっておられ
ちょいと声が小さいような感もあったが、何とか俵は上がった。

担ぎ手はどこでつけ声を入れてエエかも分からんけぇ、ワシ一人大声で
『ヨイヨイソコセ!』 とやる。その他昔を知っとる何人かもつけ声を付けてくれるが
人数が少ないんで迫力に欠けるのよ。
そこでオ-ケストラの指揮者並みに、その場面がくると
大きなジェスチャ-と声で 『アラ、ヨイヨイソコセ』 とやる。

つけ声がなけらにゃ音頭が詠めぬと歌詞にもあるように
つけ声のない、あっても迫力のないつけ声じゃあ音頭取りの人も精が無かったろうて。
何回も繰り返して、担ぎ手もどこでつけ声を入れたらエエか徐々に分かってくる。

俵みこしを降ろすタイミングも分からんけぇカチが鳴ったら降ろす事も指導する。
肩休めしとる時に木遣りを歌うて貰うが、ここでもつけ声を付けるタイミングを指導。
俵みこしに付いて俵みこしの屋根を叩くことも教えながらの珍道中じゃった。

鳥居も斜めにして通っていた  投げ方はすでに見事なもの
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俵みこしの修理Ⅲ

麻縄も宇品の船具店までTさんと一緒に行って求めた。
ワシも中学1年生から最後の祭りになった高校3年生まで6年間青年団に所属しとったが、
中学の頃の天蓋(注連縄の事をこう呼んどった)作業の事はよう覚えとるが、
俵みこしの組み立て作業の事は、よいよ覚えとらんのよ。

Tさん指導の下、みんなで担ぎ棒と本体を麻縄で縛るんじゃが、緩まずに縛るのが難しい。
ああでもない、こうでもない、とほどいては縛る。
横棒がどうしてもガッチリきつうに縛れんのよ。

じゃが、こうして日曜日に時間のある者が集まって、一緒に作業をするというのが
仲間意識を育み、わいわいがやがやとしょ-もない事を言いながら笑い、汗をかく事が
連帯意識を高めていったんじゃろうと後になって思うた。
こういう共同作業をする事に飢えてたかのように、みんな日曜日に集まって来た。

塗料が剥げとったら絵心がある長老が塗ってくれ、細かな木細工は建具屋さんがお手の物。
担ぎ棒は皮を剥いで背割れをして軒下に掛けてしっかり乾燥させた。
担ぎ棒を縛った麻縄の隙間に打ち込むクサビも建具屋の月美さんが大量に作ってくれた。

担ぎ手も毎晩、中山さんと町内を周り、一軒ずつお願いして歩いて何とか確保、
花集めの女性陣は女房殿が近所の奥様方にお願いし全てが整った。
いよいよ大祭を胸をわくわくさせながら待つのみとなった。

同好会初期の頃の太鼓部メンバ-と俵もみの全体写真
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俵みこしの修理Ⅱ

資金の目処はついた。
あとは人材集めじゃ、中心になって手伝うてくれる人、当日だけ参加の人。
俵みこしを担ぐことになったら、音頭取りが必要じゃ。

25年前に音頭取りじゃった人・・・思い出してみる。
ワシは加島のタケちゃんに声を掛けたら気持ちよう引き受けてくれんさったが
「けんちゃん、ワシ一人じゃ、やねこいけぇ、もう一人二人探してぇや」
Tさんに相談したら中央2丁目の用品さんが歌うてじゃと教えてもらい
ワシは全然面識がない人じゃったけぇTさんについてって貰うた。

用品さんも了承してくれんさった。あと一人・・・。
同好会発足に際し声をかけた大工の新宅さんがちいたぁ歌えるというじゃんか、
これで3人の音頭取りを確保できた。
新宅さんはワシより2~3つ若く、五日市で生まれ育った人じゃなかったが
大工になった頃からウチの近所に住んどったし、
奥さんがワシの知り合いじゃったんで存在は知っとった。

彼には同好会発足当初から随分活躍して貰い、共に汗を流した。
陽気な男で近所付き合いもエエし、同好会初期の中心的な存在でもあった。
一緒に酒も飲んだが、ちいと酒癖が悪いのが玉にキズなんよ。
酔うたらしつこい。集会所でお開きになっても「次に行こう!」と家にまで呼びに来る。

Tさんなんかも玄関先まで来て大声で呼ぶのよ
「東〇信〇! 東〇信〇さん! 出て来い! 次に行くよ~!」
ワシも何回かやられた(笑) 懐かしい思い出じゃ。

じゃが、不幸にもその酒が彼の命を奪うことになった。
   2004年俵みこしの担ぎ棒のロ-プの締め方
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俵みこしの修理Ⅰ

西地区秋祭り保存会は、発足当時は『秋祭り同好会』と名乗っとった。
西地区の10町内会長に説明、同意を得て、秋祭り同好会は発足したが、
まだ幹事会なるものも何も組織だったものは無かった。

俵みこしを出してみて、ちゃんと組立てられるんかどうかを確認せにゃあいけん。
担ぎ棒も強度的にせやぁないんか、確認してみにゃあいけん。
担ぎ手が集まるんかどうか? 一番の心配じゃった。
また担ぎ手に着て貰う法被やハチマキも帯もない。

ホコリを被った俵みこしを引っ張り出してみりゃあ、25年も放っとらかしじゃったんじゃけぇ
あちこち直さにゃあいけんところがようけあった。
第一、肝心の俵が無い。これも作って貰わにゃあいけんが金がない。
担ぎ棒を縛る麻縄もない、ないないづくしである。

資本金『0』からのスタ-トじゃけぇ出資者を募らにゃあいけんが
そんな、いつやめるか分かりもせんもんに出資するバカはおらん。
そこは3人集まりゃあ文殊の知恵? 
西集会所の積立資金を一時的に借りようと長老たちが考えてくれた。

資金がないんじゃけぇ俵みこしの修理は自分らでやるしかない。
声を掛けて回って『喧嘩神輿復活』に協力しようと言うてくれた連中が
日曜日に集会所へ集まって、手分けして修理した。
大工、建具職人、電気職人、かばちたれと腕の立つ職人がおるのよ。
 2001年の俵みこし組立て
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